『資源の戦争』

 ある日あなたの家――農家であったと仮定しよう――に突然外国人がやってきて、「今日からもうサトウキビは植えつけなくてもいい」「ゴムのタッピング(樹液採集)もしなくていい」「若い衆は、こんなところで農業をやっていないで、○○の飛行場建設現場で働けばもっといいカネになるぞ」とか、「この稲は収量が悪いからこの新しい品種に植え替えて、せいぜい増産するように」などと命令口調で言い、勝手に家計の経済活動を変えてしまうとしたら、あなたはどうするだろう。その外国人の言い分は「もうお前たちを圧迫していた悪徳地主は追い払った。これからは我々が、お前たちが幸せになれるよう指導してやる。悪いようにはしないからついてこい」ということなのだが、それでも「そんなに突然、何の権利があって……」と誰もが戸惑うだろう。あなたたちの土地や資源に対して何の法的権利ももたないはずの外国人が、自分たちの都合でかき回してそのような要求をすることなどあるのだろうか? しかし、今から七〇年ほど前、東南アジアの各地で実際に起こったのである。
倉沢愛子、『資源の戦争―「大東亜共栄圏」の人流・物流』、岩波書店、2012年、2ページ)

戦争論』なんて読まずにこの本を読んでいたら、も無事中国に行けただろうに。
敗戦時の隠滅を免れた公文書からも、日本が東南アジア各地を占領したのはあくまで自国の戦争遂行のためであったことは明白なんですよね。もとをただせば、見通しを誤って泥沼化した日中戦争について誰も責任を取ろうとしなかった結果ですが。