「歴史戦」の毒が回りきった日本社会

SNS等でさんざん話題になっているのですでに皆さんご存知のことでしょうが。

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本人もツイッターで“自白”していました。

 

いくつもある記事の中からこれを選んだのは、「歴史戦」の関連タームである「情報戦」が佐藤議員の口から出ている、という理由です。「情報戦で負けている」って、いったいどこと戦っているという認識なのでしょうか? 「ウクライナ政府のSNSなどをチェックする担当者を設けるよう求めた」って、これではまるでウクライナが「敵国」であるかのようです。

今回の事態は、大日本帝国がイタリアやドイツと軍事同盟を結んで侵略戦争を引き起こした、という国際的には常識中の常識である認識を表向き受け入れるフリをすることすら、いまの日本政府には難しくなってしまっているということを意味します。戦前戦中の日本の政治体制を「ファシズム」と呼ぶかどうかについて学術的な議論があるからといって、日本がファシストやナチと手を結んだ全体主義国家である事実は覆すことができず、その日本を代表する指導者として昭和天皇が引き合いに出される(それは必ずしも昭和天皇個人をファシストとする評価を含意しない)のは当然のことです。首相では日中戦争勃発時、対英米戦争勃発時、敗戦時でそれぞれ別の人物になってしまうわけですから、アジア・太平洋戦争期を通じて同じ地位にいた政治的リーダーといえば昭和天皇ということになるわけです。

吉田裕さんは日本社会の戦争責任認識について、内向きと外向きを使い分ける「ダブルスタンダード」をかつて指摘しました。しかし第二次安倍政権時代に右翼の要求を日本政府が容れつづけ「歴史戦」に加担するようになった結果、内向きの論理が外向きのポーズを侵食してしまったように思われます。