「ありえない」論法と否定論存続の背景


(1)
最初に、なにをもって「南京事件否定論」と呼んでいるのか、「歴史修正主義」と呼んでいるのかを再確認しておきましょう。南京事件否定論を巡る議論に馴染みのない方がこの数日おいでになっている可能性が高いので。
「否定論」「修正主義」と私が呼ぶ第一の基準は、犠牲者数推定の数ではありません(結果的には数がメルクマールになりますが)。犠牲者数推定を行なう手法、そしてなによりその目的が基準です。例えば秦郁彦の『南京事件』(中公新書)では、当時(1986年刊行)入手可能だった「日本軍の公的記録を個別に割引せず、そのまま積みあげてみた」結果として、「捕らわれて殺害された中国兵の推計」を3万人としています。笠原説との違いは「捕われて殺害された」ケースに限定するかどうかによるところが大きく、捕虜の殺害についてあれこれ正当化し割り引くことはしていません*1。また民間人の犠牲についての中国側の主張に対しても次のように言い、頭ごなしに「捏造」だの「プロパガンダ」だのと排外主義を煽るようなことは言いませんでした*2

 日本側の弱みは被害者である中国政府の言い分に対抗できる公的資料が欠けていることであろう。加害者側の記憶や印象で、「誇大にすぎる」「見たことがない」「ありえない」と主張しても、説得力は乏しく、法的反証力はないにひとしい。せめて憲兵隊や法務部の調査報告書があれば、個々に突き合わせて具体的なツメが可能なのだが、久しく捜しているのに、まだ見つからない。
(206頁)

ここには「加害者側の根拠のない主張が相手側や第三者に受けいれられる可能性は乏しい」という当たり前の常識がちゃんとはたらいているうえ、日本側の責任で真相が不明になっている側面への配慮もあります。また、トータルで約4万人という犠牲者数推定が新たな史料により上方修正される可能性を認め(増補版では否定)、30万人じゃないから「大」虐殺ではないといった主張もしていません。
こうしたわけで、個々の論点で批判されることはあっても、南京事件に関して秦郁彦を「否定論者」「歴史修正主義者」と呼ぶ者はほとんどいなかったわけです。
あるいは旧陸軍将校で偕行社の『南京戦史』の編集にも関わった加登川幸太郎。彼は雑誌『偕行』で「証言による南京戦史」が連載された際の総括の回で、次のように書きました。

結局、不法処理の被害者の数はいくらか

 これは大難題である。この戦史の最後のところで最も難しい問題にぶつかったの感がある。
(…)
 まず、畝本君の判決である。


<参戦者の証言資料によれば不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、今日においてその真偽を究明することは不可能である。況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。
 人はよく質問する。「虐殺の真数はいくらか」と。
 「ある程度は推定し得るが、真相はわからない。強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、と私は答えるしかない。>


 三千はもとより六千とは途方もない数字である。
 何処で何時不法処理が行われたろうかの事例は前号までの戦史で述べた。第十三師団の幕府山付近、第十六師団の下関付近、第九師団の城内掃蕩、第十六師団関係城内敗残兵摘出、その他各師団の掃蕩など、事例は、判明している限りを明記した。読者諸君それぞれに推定し、そして集計することが可能なはずである。
 そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。板倉由明氏の集計されたものである。
 同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。
 従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。これまた、途方もなく大きな数字である。
 畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。これを併記して本稿の結論とする。
 

中国国民に深く詫びる
 重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。
 日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。
 旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。
ゆうさんの転記を利用させていただきました。)

ごらんの通り、犠牲者数推定は非常に少ない数です。しかし畝本正己や板倉由明はともかくとして加登川幸太郎が「否定論者」「歴史修正主義者」と呼ばれるのをみたことはありません。これはもちろん彼自身が犠牲者数を推定したわけではないこともありますが、その数字でも「途方もなく大きな数」であり「むごいことであった」と認識し、「大虐殺ではない」といった弁明をしなかったからです。
要するに、「大したことはなかったのだ」と結論するためにインチキ論法を使い、結果として犠牲者数を過少に推定する者を私は否定論者、歴史修正主義者と呼ぶのです。


(2)

さて、ではなぜそうした否定論が存続し一定の支持を受けるのか。あるレベルでは理由は簡単です。二つの意味でそれが「心地よい」主張だからです。自国の軍隊が行なったとされる大虐殺は実はマボロシであったということが判明すれば嬉しい、というのはほぼ普遍的な感情でしょう*3。これが一つ。いまなら、最近やたら羽振りのいい中国を叩けるというおまけもつくわけです。第二に、否定論は「わかりやすい」のです。学問的な「手続き」を無視すればいくらでも「わかりやすく」できるのです。典型的なのが、否定派が多用する「○○なはずがない(ありえない)」という論法です。例えば「原爆でも使わないと30万人もは殺せない」というものです。この手の論法は読者の先入見につけ込んで、一切事実を検証することなく結論へと至ることを可能にします。fromdusktildawn氏の問題のエントリに、まさにこの種の論法が用いられていたことが、彼に対して批判が集まった理由の一つです。
しかしもちろん、戦争の現実というのはわれわれの「常識」、先入見の枠内に収まるものではありません。アメリカ軍は沖縄で原爆など使用しませんでしたが、にもかかわらず軍民あわせて約20万人が亡くなりました*4沖縄戦を戦ったアメリカ第10軍は総員約18万人で、これは上海〜南京戦を戦った中支那方面軍*5の数とほぼ同じです。もちろん米軍にはこれに機動部隊の空襲、艦砲射撃が加わり*6地上兵力の火力そのものも段違いです。しかし他方で、沖縄のアメリカ軍が捕虜や非戦闘員を組織的に、多数殺害したという事実は今日まで知られていません。また堅牢な壕や洞窟にこもっていれば空襲や砲撃による死者はその物理的破壊力から想像するほどには多くなりません。洞窟にこもって投降を拒む(あるいは阻止された)日本兵や住民を米軍の歩兵がしらみつぶしに捜し、洞窟を潰すことによって殺害する。そうした死者が多数いるのです。単純な「原爆でも使わないと30万人もは殺せない」は成り立たないことがわかるでしょう。それとも「わかりにくい」ですか?


だいたい、「ありえない」というならば、ありもしない虐殺事件をでっちあげて70年間通用し続けるといったことの方がよほど「ありえない」はなしだとは思いませんか? カチンの森の虐殺の真相も、トンキン湾事件の真相も明らかになりました。大躍進や文革のように中国国内の問題でさえ時間とともに明らかになってきています。利害が一枚岩だったわけではない旧連合国の「陰謀」によるでっちあげが70年も破綻しない、なんてことがあり得るでしょうか? 日本軍や日本政府の高官がこぞって当時虐殺の事実を認識していたのに、彼らはみな騙されていた、あるいは連合国に抱き込まれていたというのでしょうか? その通り、と主張するのが否定論者なのです。南京事件否定論者の間で最近ブレイクしつつあるのが、張作霖爆殺はスターリンの陰謀だ、という説です。となると、直接の犯人河本大作はじめ関東軍首脳はスターリンに操られており、昭和天皇はじめ政府や軍中央はそれを見抜けなかったということになります。なんたる自虐でしょうか!? 
他方、大規模な事件の場合、その規模についての推定が時間とともに変わることはごく普通にあります。ドレスデン爆撃もアウシュヴィッツの犠牲者も大きく推定値が変わりましたが、だからといって「ドレスデン爆撃はなかった」「アウシュヴィッツはなかった」とはならないのです。


余談ですけど、『マルコポーロ』事件の西岡昌紀ガス室でのユダヤ人虐殺を否定しただけでホロコーストは否定してない、って弁護する人間がたまにいるのですが、これは嘘っぱちなんですね。西岡昌紀は問題の記事の結びでこう言ってます。

 アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所で生命を落としたユダヤ人達の運命は、悲惨である。彼らは、その意志に反して各地の収容所に移送され、戦争末期の混乱の中でチフス等の疾病によって生命を落としていった。その運命の悲惨さは、日本軍によって苦しめられた中国の民衆や、原爆の犠牲者と同様、現代に生きる我々が、忘れることを許されない今世紀最大の悲劇の一つである。現代の世界に生きる我々は、それを忘れる権利を持たない。しかし、そうであるからこそ、真実は明らかにされなければならないし、虚構を語ることは許されないのである。
 この記事をアウシュヴィッツその他の地で露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい。
(http://turugi10.hp.infoseek.co.jp/marco/marco4.html)

ごらんの通り、はっきりとホロコーストを否定しています。「混乱の中」、「疾病」で命を落としたにすぎない、と言っているのです。「混乱」というのは南京事件を否定したい人間が使う言葉でもあります。家永教科書裁判の対象となったケースですが、当時の教科書調査官時野谷滋——彼は沖縄戦の記述に「集団自決」を盛り込め、と要求した調査官でもありますが——は「混乱のなかで」という一句を加えるよう要求したことを自著で認めています。近年大幅に否定論側に舵を切った北村稔も記者会見で「混乱はあったが、虐殺はなかった」という趣旨のことを述べています。死者が出たという客観的事実が否定できないので、せめて責任だけでも回避しようというわけです。もちろん、「混乱」のせいで起きた虐殺だってありました。しかし先日も紹介しましたように、師団長が日記の中で捕虜殺害の計画を練っていたのです。師団長がどれくらい「偉い」かわからないというひとのために説明すると、師団とは平時において存在する部隊の最上級の単位です。師団長の階級は中将、日中戦争が始まるまで日本に師団は17個しかありませんでしたから(すぐに増えましたが)、全軍に17しかない、親補職といって皇居での親補式を経て任命されるポストです。南京の日本軍の場合、中支那方面軍の下に上海派遣軍と第十軍が、上海派遣軍の下にこの師団(第16師団)があるので、指揮命令系統では方面軍司令官→派遣軍司令官に次ぐ位置にいます。このようなレベルで計画された捕虜殺害が「混乱のなか」で片付けられるはずがありません。なお、西岡昌紀最近南京事件否定論者にもなったそうです。『マルコ・ポーロ』の編集長だった花田紀凱は、現在製作中の南京事件否定映画『南京の真実』の賛同人の一人です。


閑話休題
某所でhokusyuさんがコメントしていたように、「関ヶ原の戦いがあったかどうか」のまとめサイトなんてないわけですが、誰も文句は言いませんよね? 「関ヶ原の戦いがあった」ことを確認するために努力したことのある人間なんてごく限られていると思いますが、「関ヶ原の戦いはなかった」と考えるひとはまずいません。われわれは実に多くの事柄について、「新書の一冊」も「まとめサイト」も読まずに教科書を鵜呑みにしているのです(あるいは忘れているのです)。まして、旧日本軍の負の側面については「書かせまい」とする文部(科学)省と教科書執筆者の間でながらく綱引きが続いていることは周知の事実です。にもかかわらず教科書に書かれていることを疑う理由は何なんでしょうか? 「アポロは月に行ってない」なんて主張は、大部分のひとが資料を確かめるまでもなく「トンデモ」扱いするんじゃないですか? なのに南京事件否定論についてはなぜそうしないのですか?


(3)

さて、「まさか虐殺の存在それ自体を否定する者がいるとは思わなかった」と釈明した人々がいたことについてはすでに触れました。しかしですね、『WiLL』はともかくとして『諸君!』や『正論』といった公立図書館にもたいていならんでいる雑誌や産経新聞、部分的には読売新聞にまで否定論は登場してるんですよ。否定論を支持する国会議員のグループまであるんですよ(日本の前途と歴史教育を考える会、南京問題小委員会)。「つくる会」は歴史教科書に否定論を書かせろと要求してるんですよ。ネットで「南京大虐殺」をググればいくらでも否定論のサイト・ブログがヒットしますよ。否定論がトンデモだとは知らなかった? なら、これまではしかたないでしょう。しかし知った以上、これは反否定論者だけの問題ではなく、あなた方の問題でもあります。進化論を否定し「神が生物を創造した」と主張する創造説や、その偽装形態であるインテリジェント・デザイン*7を支持する国会議員が理科教育に介入し、「進化論と創造説を両論併記せよ」と言い出しても、あなた方は「そりゃ生物学者の問題でしょ」とうそぶき、「生物学者の宣伝が下手だからこういうことになるんだ」と放置するんですか? 否定論者が現在製作中の映画、『南京の真実』三部作の公式サイトに設置された「情報交換掲示板」をのぞいてみてください。そこにあふれるヘイトスピーチ陰謀論、事実の歪曲、詭弁を読んでもなおあなた方は「どっちもどっち」というのですか?


さて、smectic_gさんは「南京否定論のプロパガンダが成功するわけ」を次のように分析しています。

自分も理性では肯定派がもっともな主張をしてるのはわかるんだけど,正直,肯定派が南京大虐殺について書く文章を読んでいると感情的な面で処理できないことが多い.

何で処理できないかを考えるために,身内で悪いことをした人間が出たときを考える(さらに,「落とし前つけろやー」と叫びながら扉をどんどんと叩いてくると).これに対してどう処理するかを考えると,

  1. 忘れる.ないしは,責任については無視する
  2. 悪いことなどしていないと主張する
  3. 悪いことをした人間は身内ではないと定義し直す
  4. 悪いことをした人間を,正当な方法で償わせる
  5. 悪いことをしたことは認めるが,やむにやまれぬ理由があってしたのだと信じる
  6. 悪いことをしたと認めて,連帯して責任を取る

という風に場合わけ出来ると思う.(他にもあると思うけど)で,(6)の合理化手法をとれる人間(非常に強い人間だと思いますが)は非常に限られるのではないかと思う.

さらに3.について「じゃあ,日本はどうかと言うと恐ろしいほどに悪役がいない.せいぜい,各軍首脳部は悪役に出来そうだし,現にA級戦犯として悪役に出来た.でも,今問題になってる話ってホロコーストと違ってその悪役がいなくてもおきそうな話ばかり.」ともおっしゃってます。左派批判はけっこうなんですが、批判するなら事実に基づいてやってもらわないと。まず厳然たる事実として、中国政府が南京大虐殺を「外交カード」にしたのは日本で否定論者が活発に活動した後です。つまり“「落とし前つけろやー」と叫びながら扉をどんどんと叩いてくる”のではなく、日本側から“「てめー言いがかりつけやがって」と叫びながら扉をどんどんと叩いた”のが発端なのです。さらに、「悪役」をつくって決着するという方法——現在、戦争責任問題に積極的に関心をもつ人間の多くは、この方法をよしとしていませんが——はまさに、日中国交回復に際して中国側が提起した方法なのです。「侵略戦争は一部の軍国主義者がやったこと、日本の人民は被害者」というのは、現在でも中国政府の公式見解です。せっかく「一部の軍国主義者」を「悪者」にすることではなしがつきかけていたのに、それをぶちこわしたのは南京事件否定論者であり、靖国神社へのA級戦犯合祀+首相の靖国参拝なのです。だから、smectic_gさんが3.の方法の再構築や3.に代わる方法を問うのであれば、否定論者ないしA級戦犯合祀+首相の靖国参拝の支持者に問うというのがスジというものです。


例えば「クレクレ厨」についてのこんな批判があったのを思いだしたのですが、南京事件否定論に限らず、歴史修正主義に関しては単に「自力で考え、調べようとの態度を頑として見せず」に「教えろ、教えろ」と要求するのみならず、専門家の業績と歴史修正主義者の主張とを「どっちもどっち」扱いすることがまかり通っている、というのが実情なのです。「他人の知識を尊敬していないから」どころかそもそも「学問的な知識を蓄積するプロセス」への敬意すらないといわざるを得んのではないですか? しかも素人がそれをやるだけでなく、学者がやったりする(最近だと沖縄戦についてもいますよね)のは、己の学者としての存在理由を否定するようなものです。


たびたび書いている「自称中立」の問題についてはCloseToTheWallさんが書いておられるのでそちらをご参照ください。

*1:ただし山田支隊による幕府山の捕虜の殺害については、今日までに見つかった資料に照らせば明らかに過少な推定で、昨年刊行された増補版でも当初の推定を改めなかったことで随分評判を落としました。

*2:中公新書の『南京事件』のあとがきには次のような一文があります。国交回復時に中国が賠償請求権を放棄したことなどに触れた後、「それを失念してか、第一次史料を改竄してまで「南京“大虐殺”はなかった」といい張り、中国政府が堅持する「三十万人」や「四十万人」という象徴的数字をあげつらう心ない人々がいる」、と。増補版ではどうなってるのか気になってみてきたのですが、そのままになってました。もちろん、「増補版あとがき」は別にありますが。

*3:いまトルコでも問題になっているように。

*4:米軍の死者は約1万2千人

*5:すべてが南京に進軍したわけではない。

*6:日本海軍の第3艦隊も南京まで行っていますが、沖縄のアメリカ海軍とは比較にならない規模です。

*7:日本でこれを推進してるのは統一協会なんですが、産経新聞はこのID論提灯記事を書いてます。

否定論のインチキのサンプル

先ほどの西岡昌紀南京事件否定論者宣言のレス元に東中野修道、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』の書評が転載されているので、いい機会ですから否定論者の手法が(結論が、ではなく)いかにインチキかの例証としておきましょう。
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html


まずは『南京事件証拠写真」を検証する』のレビュー部分から。

南京事件」には「虐殺派」と呼ばれる人々がいる。旧日本軍が南京で殺戮、強姦、放火、略奪など悪虐非道の限りを尽くし30万人の中国人を虐殺した、という説をとるジャーナリストや学者である。

はい。最初の段落からインチキです。「30万人説」をとる人間がいまの日本に皆無であるなどといった保証などもちろんできませんが、笠原十九司、吉田裕、本多勝一など南京事件の研究や報道で有名な学者、ジャーナリストの中に30万人説の支持者はいません。

一方に、東京裁判中国共産党、大新聞の「大虐殺」説に疑問を抱く人々もいる。阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、2001年)は、その疑念を晴らすために、当時南京にいた日本軍人、外交官、ジャーナリストから直接証言を求めたものである。ジャーナリストの櫻井よしこは、同書に寄せた「推薦のことば」で「関係者の体験談を集めた第一級の資料」と評している。

秦郁彦はこの本について次のように評しています。

(…)
その精力的な東奔西走ぶりには敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。
 筆者の経験では、将校は概して口が固く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。
(…)
 その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している*1。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張する人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで喜劇じみてくる。

(『昭和史の謎を追う』、文春文庫、上巻、181-182頁)

あれ? 関係ないはなしですが、いま自分のブログで過去に引用していたこの秦郁彦の一文をサイト内検索して見つけた際に、デジャヴが…
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070519/p2
「アンチ・ジェンダーフリー」を標榜しながら、男装の罪で処刑されたジャンヌ・ダルクに自らをなぞらえる不思議な…ということはなくて右派の女性の屈折した心理をわかりやすく示してくれている地方議員のブログなのですが…。
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/50999481.html
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html
そっくりですね。これが元ネタだったのか。
閑話休題

ひるがえって『中国の旅』『ザ・レイプ・オブ・南京』などが証拠としている写真は、はたして「第一級の資料」であったかどうか。

もちろん『中国の旅』や『ザ・レイプ・オブ・南京』には写真が掲載されていますが、それと両書が写真を「証拠」として扱っているかどうかは別の問題です。本文中に「写真2がその証拠である」などと書いてあるんでしょうか?

著者たちが見た写真は3万枚を超える。この中から南京事件の証拠とされている約140枚を選び出し、撮影者、撮影場所と時期、キャプション、出所・提供者など写真の特性を洗い出しているが、科学的とさえいえる検証作業の結果、南京大虐殺の「証拠写真」として通用するものは1枚もないことがわかった。

科学的「とさえいえる」というのがちょっと笑えます。科学的じゃないとまずいんじゃないですか? 実際、この「検証」なるものはネットですでに再検証の対象になっています。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/#syashin
結論だけを言うと、東中野らの主張が全部間違ってるわけじゃないんですね。確かに、南京ではない場所で撮影された写真が、南京大虐殺の模様を伝えるものとして宣伝に使われていた…といったケースはあるのです*2。しかしながら、全部の写真がそうだというわけではない。例えば
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/ichiran_2.htm#143
の写真138をごらんください。東中野はこれについて「対岸に逃亡しようとした中国兵の戦死体か、上流の激戦地から流れ着いた戦死体」に決まっている*3と言っているのですが、東中野本に収録されたサイズではわからないことが、この写真の撮影者本人による写真集(『私の従軍中国戦線 新版 村瀬守保写真集』)ではわかります。
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/murase.htm
そう。写っているのは後ろ手にしばられた死体なのです。戦死体なら後ろ手にしばられているのはおかしいですよね? ですから、これは敗残兵の掃討によって捕らえられ、武装解除され、縛られて連行された後殺害された中国軍兵士、あるいは民間人の死体と考えるのが「科学的」です。
もう一つの問題は、「「証拠写真」として通用するものは1枚もない」としても南京事件の証明はほとんど揺るがない、ということです。笠原十九司秦郁彦の新書の入門書、『南京事件』(岩波新書中公新書)を立ち読みしてもらうだけでわかることですが、口絵や肖像などの写真は確かに使われているものの、別になくたって論旨はまったく揺るがないのです。ウソだと思ったら、写真は一切見ずに両書を通読してみてください。

著者は「私たちは『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているが、写真は必ずしも第一級の歴史資料たりえないことを証明した意義は大きい。

だれも「第一級の歴史資料」として利用しようとしていないものが「第一級の歴史資料たりえない」ことを証明したって大した意味はないのですが、興味深いのは次の点です。引用文にあるように、この本で著者たちは「『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているのですね。ところが、この本に言及する者の多くは、本書によって南京大虐殺が捏造であったことが明らかになった、と主張するのです。ウソだと思いますか? 先ほどの伊勢崎ジャンヌの文章をもう一度読んでみてください。
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/50999481.html

東中野教授ら研究メンバーの渾身の力を振り絞って刊行したこの本を読んで、「虐殺があった」と100歩譲っても私には言えません。

否定派は否定派の親玉の本さえまじめに読んでないのでしょうか? 学者である東中野は(もっとも、昨年末に裁判所から「学問研究の成果に値しない」と評されてしまったのですが)慎重なもの言いをしてなるべく揚げ足を取られないようにしています。それをその読者たちが「咀嚼」して虐殺否定の根拠に変えてしまうというわけです。同様な手法——私たちはこれを論拠ロンダリングと呼んでいます——は櫻井よしこによっても使われています


先に進みましょう。

南京大虐殺」とは、昭和12年12月の南京戦のさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、略奪、放火が生じたとの主張だ。近年の研究によってその根拠は揺らいできた観があるが、先日、南京市にある「南京大虐殺記念館」をユネスコ世界文化遺産に登録申請しようという構想が報道されたように国際社会では史実として定着しつつある。これについては今日まで「大虐殺の証拠写真」として世に出た写真の果たした役割が小さくない。

たしかに中国国内での南京大虐殺についての教育において写真が果たした役割は小さくないかもしれません。しかし中国が南京事件を「史実」とする最大の拠り所は、写真よりもまず東京裁判と南京軍事裁判(いずれも共産党政府は関与してません)でしょう。では、両裁判において、一体どれほどの写真が「証拠」として提出され、採用されたというのでしょうか? 否定派がそのことについて言及しているのを読んだことがありますか?

次は『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』のレビューです。

昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。

まあこれがこの本のミソということになります。「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」という文書に、『戦争とは何か』に関して「本処編印」とあったことを根拠に、この本を中央宣伝部が企画、編集、印刷、出版したのだと主張しました。しかしながら、「中央宣伝部国際宣伝処工作二十七年度工作報告」という文書(「二十七年」というのは国民政府の暦で、西暦では1938年にあたります)には、「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」という記述があります。「工作概要」より「工作報告」の方が資料価値の高いことは誰もが納得することでしょう。実はこの事実は、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』が刊行されるちょっと前に出た『現代歴史学南京事件』(柏書房)所収の論文、「南京大虐殺中国国民党国際宣伝処」(井上久士)において指摘されているのです。しかし、これに対して否定派からのまともな反論はいまだありません。

また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、

ここはいろいろあって全部指摘するのは面倒なので一つに絞ります。『戦争とは何か』は難民を保護するために南京に残留した欧米人がつくった国際安全区委員会を情報ソースの一つにしているのですが、「市民重大被害報告」は国際委員会の耳に入った事例すべてをあげているわけではないんですね。彼らは被害報告を受けると可能な範囲で自ら調査を行い、裏をとれたものだけを選んで日本大使館への抗議文書に載せたわけです。網羅的な被害報告書ではなく、事態の改善を日本に依頼するための文書なのです。一握りの外国人が素人調査で裏をとれなかったからといって、被害の訴えに根拠がないと言えないことは明白でしょう。したがって、両者の間に違いがあるのは当然なのです。詳しくは
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html
http://www.geocities.jp/yu77799/kokusaiiinkai.html
をごらんください。

このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダであったということです。

これ自体はまあ間違ってないんですね。そういうことでしょう。戦争になればどの国だってやることです。問題は、プロパガンダであるからといって直ちに事実無根とは言えない、という当たり前のことを否定派は無視するという点です*4。上述の、櫻井よしこの論拠ロンダリングを参照してください。


なおここでは触れられていませんが、ティンパリー(ティンパーリ)*5と国際安全区委員会のメンバーだったベイツ*6が国民党の顧問だった、という主張も「プロパガンダ」説の論拠になっています。しかしながら、これらもまたすでに反論がなされ、それに対するまともな再反論がないという状態です。


そうそう、まさか石井英夫(元・産経新聞論説委員)、堤堯(元・文芸春秋常務)、櫻井よしこを「10人の否定派の中の、頭の悪い1人」扱いしたりはしませんよね?

*1:引用者注:しかし実をいうと、この本にも虐殺の目撃談は出てくるのです。松井司令官付きの軍属だったひとは女性を含む「千人から二千人」の中国兵を刺殺しようとする現場に行き当たってます。これを「虐殺じゃない」と言い張るわけです。

*2:その場合でも、南京の写真じゃないことを知っていたことまで証明できなければ、「捏造」というのはプロパガンダにすぎません。

*3:もちろん本人は「可能性が濃い」といった言い方をするわけですが、伝言ゲームの2人目か3人目で「全部捏造」になってしまうわけです。ちょっと応用させてもらいました。

*4:もちろん捏造かもしれない。大幅な誇張かもしれない。ちょっとした脚色かもしれない。掛け値なしの事実かもしれない。結局、本の記述と事実をつきあわせなければなんとも言えないわけです。

*5:http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%A5ƥ%A3%A5%F3%A5ѥ꡼%A4%CE%C1%C7%C0%AD%A4˲%F8%A4%B7%A4%A4%C5%C0%A4ϲ%BF%A4%E2%A4ʤ%A4

*6:http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%a5٥%a4%a5ĤϹ%f1̱%c5ޤθ%dc%cc%e4%a4Ǥ%e2%bc%ea%c0%e8%a4Ǥ%e2%a4ʤ%a4