主要エントリリスト(「慰安婦問題は朝日の捏造!」説関連)

捏造された「朝日新聞の捏造」?
偽の論点による偽の反論(の・ようなもの)
池田信夫の捏造
「朝日新聞の捏造」論について
朝日新聞の「慰安婦」報道の実態
1992年1月の「慰安婦」問題報道・3紙比較
恐るべき朝日新聞の洗脳力
「池田信夫の捏造」完全版(エントリ中でリンクをはってある記事についても)
読売新聞の「慰安婦=女子挺身隊」説
「河野談話」をめぐる初期報道について補足と訂正
92年当時のアメリカメディアの反応
分の「仮説」にあわせて事実をねじ曲げてるのはどっち?
上告もせずに終わっていた「朝日新聞を糺す国民会議」訴訟
安倍政権は朝日新聞の三連勝についてコメントすべき立場
麻生財務大臣の発言から考える「「慰安婦」問題=朝日の捏造」説

主要エントリリスト(その他)。


「バターン死の行進」問題まとめ――「ネタ」のシニシズムについて
過去2週間の話題を巡って(12日追記)
「痛切さ」を欠く「仕方なかった」言説
『アウシュヴィッツの<回教徒>』
戦争犯罪についての開き直り/シニシズム
刑事事件の証拠評価と歴史学の証拠評価
刑事犯罪に対する態度と戦争犯罪に対する態度の非対称性
「われわれ/彼ら」図式の多様性
感情の政治学
「殺人学」のシニシズム
「政治」からの逃避
道徳感情の複合性
東京裁判弁護団の反論にみる本質主義
「説明」と責任
「洗脳」について


「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説?
関連エントリ:
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060901/p2
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060907/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071227/p1
旧軍が抱えた根本的矛盾
ニュルンベルク・東京からバグダッドへの道
慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)
相殺の論理と普遍性の論理
「虐殺」の定義
「「妖怪」がわかれば「昭和」もわかる」(対談)
ポスト『南京戦史』時代の否定論プロパガンダ
「『慰安婦問題』問題」とは何だったのか(その1?)
92年1月11日の朝日新聞の報道とは…
『人間の暗闇』
否定論の「性暴力」観
沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定をめぐって
パフォーマティヴな否定論
続・教科書調査官の証言
「歴史主体」論争をふりかえって
分断を拒否すること
「軍命令」をめぐって
ホロコーストの一断面
戦場のミソジニー
「白燐弾」をめぐって問題にすべきことは何か
「三光作戦」の犠牲者数

主要エントリリスト(南京事件関連)


固有名詞としての「南京大虐殺」
南京からベイルートへの道
南京事件否定論の背景と日本政府の不作為
「南京事件はマボロシだ」ということを証明せよ、という要求は「悪魔の証明」の要求ではない
南京事件否定論と本質主義
14万人と7万人、30万人と…
「命令」という観点からみた南京事件
「きい」弾を装備していた上海派遣軍
「民主的統制」としての「戦争犯罪追求」、あるいは一文にもならない南京事件否定論
第十軍法務部陣中日誌から推定する、中支那方面軍の「犯罪率」
板倉由明が「適性派(ママ)」じゃまずいでしょう、山本さん
日本人が「虐殺」なんてするはずない、だって?
映画『南京の真実』スタッフブログより
「差分」事件に関連する一連のエントリ
「上限」の問題
ちなみに…
「ありえない」論法と否定論存続の背景
否定論のインチキのサンプル
「悔恨」はどのように表現されるのか
ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪
「南京問題小委員会の調査検証の総括」批判のために(1)
南京事件否定論の論法を天安門事件に応用すると……
確実なこと
南京事件と相対的剥奪
罪責感をめぐって補足
よくある言いがかりについて
よくある言いがかりについて―その2
「合法/不法」論を超えて

主要エントリリスト(日本軍「慰安婦」問題関連)


「河野談話」について知っておくべきたった六つのこと(三分で読めるよ!)
台湾における「慰安婦」の強制連行
無責任きわまりない「河野談話撤回」論者たち
「完全否定」なんてブチあげていいの?
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その2
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その3
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その5
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その6(追記あり)
『「村山・河野談話」見直しの錯誤』ほか
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その7
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その8
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その9
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その10
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その11
16年前から明らかになっていた資料がいまさら問題にされる事態の情けなさについて
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その12
慰安所従業員の日記、発掘
橋下市長、「旧日本兵慰安婦問題」を捏造
強制連行の証拠は(探さ/公表させ)なかった!(追記あり・タイトル変更)
「寝た子を……」は差別主義者の定番の拠り所、そして秦郁彦の嘘
マスメディアがほとんどとりあげない安倍内閣の窮状答弁と称する事実上の逃避URL更新
日中戦争勃発直前の「廃娼運動」状況
「河野談話さえ葬り去れば大勝利」脳の恐怖
カミングアウトした元「慰安婦」の未成年率
右派は恨む相手を間違えている補足
「問われる戦後補償」(93年11月)
無理解の極北
河野談話の作成過程を検証するんじゃなかったの?
「慰安所」関連資料の隠滅について
自分の「仮説」にあわせて事実をねじ曲げてるのはどっち?
「慰安婦」問題否認論者に欠けているのは「自由意志」についての常識的な洞察
魂を自ら鎖で繋いだ人間には、鎖で繋がれていない程度のことが「自由」に思えるのだろう
永井先生の論文をちゃっかり「お役に立て」ていた読売新聞
「一種の徒弟修行」という詭弁について
元「慰安婦」の証言を否認しなかった警察
右派の「無能な味方」コレクション
これが21世紀の「進歩的文化人」(by 西尾幹二)だっ!
「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その13
教科書に虚偽の記述を加えさせる教科書検定
「強制されたというなら兵隊さんも同じ」論の誤り

メディアの及び腰が歴史修正主義を支えている

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 ただ、日本側の狙いは後年になって、意外な形で明らかにされた。

 「韓国は、日本との関係の基盤を損なう対応をしてきたわけです。(中略)私は『国と国との約束が守れない中において、貿易管理は当然だ』とも述べました」

 安倍晋三元首相は、死去後の23年に出版された回顧録の中で、経産省首相官邸が徴用工問題の対抗措置として輸出規制強化を発案したと認めた。

よくもまあこんな白々しいことが言えたものです。当該の時期の右派論壇誌、特に2019年9月号あたりをみていれば安倍政権の「岩盤支持層」が「歴史戦」の一環として「ホワイト国」からの除外を要求、歓迎していたことは一目瞭然です。いまさら回顧録を根拠にして書くようなことではないでしょう。記事からも安倍政権の狙いが「公然の秘密」とすら呼べない、公知の事実だったことがわかります。

 日本政府は当初、世耕弘成経済産業相(当時)が「信頼関係が著しく損なわれた」とSNSで述べるなど、徴用工問題が理由であることを半ば認めていた。だが、次第に「韓国の輸出管理に不適切な事案がある」との説明が繰り返されるようになった。

 政治的対立に経済カードで対抗することは、自由貿易の観点から批判が避けられない。韓国が世界貿易機関WTO)に提訴したことからも、日本はあくまで安全保障上の措置であることを強調する必要があった。

体裁を取り繕うふりをする安倍政権の茶番に協力したのが主流メディアだったわけです。

 

 

戦争トラウマと家庭内暴力

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公認心理師信田さよ子さんへのインタビュー記事。当ブログではかねてから、戦後の日本社会が加害体験を「個人化」してきたことの問題点を指摘してきたが、PTSDについて専門的な知見を持つ信田氏でさえ2018年に中村江里氏の『戦争とトラウマ』を読むまでは「父たちの「戦争トラウマ」がDVや虐待の背景にあったという視点を持ち合わせていませんでした」というところに問題の根深さを感じる。

「さすが」と思わされたのは「(虐待、抑圧の)連鎖」という捉え方の問題点に注意を促しているところ。

 ただ、連鎖という言葉はすごい荒っぽい。「元兵士たちは加害者だが被害者でもある。だから彼らは可哀想なんだ」という言説につながりかねず、注意が必要ですね。そう言われてしまうと、殴られ続けた妻や子どもら家庭内の被害者たちはどうなっちゃんうんだと。

侵略戦争の被害者たちはどうなっちゃうんだ」という視点に明示的に言及されていないのは残念なところですが。

記事を読んで新たに浮かんだ疑問もあります。

 多くの世代の女性たちのカウンセリングをしてきました。その中で気づいたことがあるんです。95年当時に40歳前後だった世代の女性たちが受けた虐待経験が、他の世代と比べて際立ってすさまじかったんです。

「95年当時に40歳前後」ということは「団塊の世代」より後、戦後10年ほどの時期に生まれた世代(いわゆる「新人類」世代の先頭あたり)ということで、物心ついた時期には敗戦から15年くらいはたっていたことになる。より年長の世代はカウンセリングを受けるという発想がなかっただけなのかもしれないが、戦争体験に由来する傷が家庭内暴力というかたちで現れるようになるためには時間がかかったのだとすると、それはなぜなのだろうか。たとえば“日本がより豊かになり戦場とのギャップがあらわになる”ことで暴力が苛烈さを増した、ということだろうか。

従軍体験者の多くは「戦争トラウマ」に関する知見の恩恵に浴することなく亡くなっていった。幸い、従軍体験者の子ども世代はまだ多くが存命だ。

 「暴力的だった父は、戦争によってトラウマを負っていたんだ」というような気づきは、加害者像をつくることです。家族が回復するためには、とても大事なことです。

「戦争だから仕方ない」と諦めるためではなく、「再び戦争を起こしてはいけない」という決意のためにも、戦争がなにをもたらすのかを理解することは重要だろう。