もし私が「東の将軍様」を擁護するとすれば……

E・カント、『啓蒙とは何か』より、「理性の私的使用」と「公的使用」について論じた箇所。

(……)すると上官から、何か或ることを為せ、と命じられた将校が、勤務中にも拘らずその命令が適切であるかどうか、或いは有効であるかどうかなどとあからさまに議論しようとするなら、それは甚だ有害であろう−−−−彼はあくまで服従せねばならない。しかし彼が学者として、軍務における欠陥について所見を述べ、またこれらの所見を公衆一般の批判に供することを禁じるのは不当である。
岩波文庫版、11頁)

カントに依拠しつつ田母神元空幕長を擁護しようとする際障害になるのは、あれがおよそ「学者として」「理性を使用」して書かれたものとは認め難い、ってことですね。
なお「勤務中」であってもその命令が合法かどうか、については考えておかないといけません。「上官命令の抗弁」は基本的に認められないのがWWII後の戦犯裁判以降の流れですので。


追記:あまりにもネタっぽく書き過ぎたので反省。「言論の自由」による元空幕長擁護は、「どの口がそれを言うのか」な問題を除けば少なくとも議論には値することであるわけです。カント的に「理性の私的使用/公的使用」を区別する観点から言えばむしろ、彼が統合幕僚学校の校長在任中に行なった幹部教育への関与こそがより大きな問題としてとりあげられるべきだ、ということになります。こちらは政府見解に反する(しかも学問的な裏づけのない)主張を職務として、幹部候補生たちに教えようとした、ということですから。こちらはもう釈明の余地がないのでは?