歴史的事実へのコミットメント

「中国語がわからないと…」とか「ドイツ語がわからないと…」といったことをこの人が言い出すのは別に今回が初めてじゃないんですが、この種の言い訳のおかしなところは「中国語(ドイツ語)がわかる」にも程度問題があるし、「南京事件ホロコースト)について語ることができる」にも程度の問題がある、ってことを無視している点にあります。中国語ができたほうが南京事件について多くのことを知りうるだろうとか、ドイツ語に堪能であるほうがホロコーストについて多くのことを知りうるだろう、という点に別に異議はありませんが、多くの研究者が関与してきた分野の資料は翻訳にしてもそれなりの吟味を経てきているわけで、例えば南京事件に関して中国語の文書の(語学的な)解釈が大きな焦点になってる、なんてことはないわけです。『曽虚白自伝』には「ティンパリーらに金を払って書いてもらった」という趣旨のことが書いてあることは、「虐殺=あった」派の人間だって認めていて、ただその『曽虚白自伝』が間違い(記憶違いか自分の功績を大きく見せかけるための粉飾)だと考えているわけです。私は「もし自分に中国語がわかれば、専門家たちの気づかない解釈上の問題を指摘できる」などと確信するほど傲慢ではないので、「中国語がわからなくても南京事件について語りうることはある」と考えるわけですね。
また、日本語でオリジナルが書かれた文書(戦闘詳報などの軍の公文書、将兵の私的な日記・回想録など)だけでも1)捕虜の殺害があったこと、2)敗残兵の掃討があったこと、3)その敗残兵を処刑するにあたって法的な手続きを踏んでいないこと、4)略奪、強姦があったこと、5)非戦闘員の殺害があったこと、などは明らかにできるわけで、「中国語がわからなければ…」という言い訳は「じゃあ、日本語と英語の資料だけからでも判断できる範囲のことがらに、自分はどうコミットするのか」という問題を回避しているわけです。


「やたらとハードルを高くする」というlovelovedogさんの手法については以前にも述べましたが、要するに自分は最初からそのハードルを飛ぶつもりがないから平気で高くできるんですね、非現実的な高さまで。自分が飛ぶハードルは「誰が伝えたかさえわかれば、情報伝達の正確さはわかる」と、非常に低く設定するわけですけど。そうやって「知的誠実さ」を装いつつ、自分の政治的な好みにあわせて選択されたいくつかの事例についてだけ、限定的なコミットメントすら拒否する、コミットメントを拒否することによって否定論側を有利に見せかけることのできる文脈をつくってコミットメントを拒否する、というカラクリですな。