本当の争点は何か

このエントリの主題からはずれるけど南京事件に関してはより本質的な点についてまず。そもそもティンパリーと国民党のつながりを云々…というのは南京事件否定論者がどれだけ追いつめられてるか、の証左なんですな。なにしろティンパリーは南京事件当時南京にはいなかったわけで、『戦争とは何か』は彼の目撃談じゃありません。だから、仮にありもしない事件をでっち上げて宣伝するために金を使ったというのなら、ティンパリーに払うというのはかなり妙というか迂遠なはなしです。ティンパリーの情報ソースとなったフィッチやベイツやスマイスら、事件当時南京にいた第三国人こそが買収の対象となるべきです。ティンパリーに金をつかませて偽情報を書かせても、フィッチらが「自分たちはそんな報告はしていない」とバラしてしまえばなんにもならないからです。東中野修道にせよ北村稔にせよ、ティンパリーがベイツらの報告を歪めて『戦争とは何か』に記載した、などということは論証できておらず、ひたすら「国民党が金を払って書かせた」と主張する、という愛蔵太メソッドの活用にいそしんでいるわけですが、百万歩譲って「ティンパリーが国民党から金をもらって『戦争とは何か』を書いた」のだとしても、1)ベイツら南京在住の第三国人もまた買収されていた、2)ティンパリーがベイツらの報告を歪めて記載した、のいずれかが証明されない限り「南京事件は国民党のでっちあげ」などという結論を導くことはできないわけです。
ちなみに、以上は中国語がまったく読めなくても調べることができる事柄です。


でいよいよ本題。といっても実にくだらないはなしですが。
中国語の「花銭」の意味なんてこんなことがなければ知らなかったよ
中国語がわからないと自称しているのに「やはり中国語がわからないと「南京大虐殺」について語るのは難しいだろう」とだけはしつこく言うくらいなら中国語の辞書くらい買えばいいと思うんですが、まあこの人の場合「南京事件はあった」という結論を永遠に保留するためにのみ「中国語がわからないと…」と言いつづけているだけなので、言っても無駄でしょうね。私が持ってるのは弟が学生時代に使っていたやつのお下がりなのでかなり古い(昭和57年初版の『現代中国語辞典』、光生館、昭和61年の第5刷)ですから、いまならもっと使いやすい辞書がいっぱいあると思いますけど、それでも漢和辞典のひき方を知っている人間なら簡単に「花」(原文簡体字)には「費やす」という意味があり「〜銭」(原文簡体字)という用例に「金を使う」という訳が付されている(つまり、「花銭」はかなりポピュラーな用例であることが推定できる)ことくらいはわかるわけで。同様に学校で漢文の授業を受けたことがあり、漢和辞典の使い方を知っている人間なら「請田伯烈」は「田伯烈に請う」「写両本」は「両本を写す」だろうと見当をつけ、「写」には「書く」という意味があることを辞書で調べて、「「本を書いてもらい」に相当する部分」をみつけるのはあながち不可能なことでもないと思うんですな。

そもそも、南京事件について語る際のハードルとして「中国語を読めるかどうか」を過大視してますよね。日本語で書かれていてもちゃんと読めない人はいるのに。

で、ぼくの場合は、たとえば中国語で書かれた「日本軍の戦闘詳報」などというものは見たことも聞いたこともありませんが(ぼくには理解できない何かのギャグですか)(後略)

いいえ、あなたが理解できなかった(ないしできないふりをした)皮肉です。コメント欄ですでにrnaさんが「加害者側は日本人なんだから日本語の資料だってあるわけで」と指摘されてますが、「中国語がわからないと語るのが難しい」部分だけを焦点化して「中国語がわからなくても語ることができる部分」を故意に無視しているところが問題であるわけです。『戦争とは何か』の成立事情だって英語を読めれば知ることはでき、そうすれば「金を払って書いてもらった」のか「書いたものを買い取ったのか」がそもそも二次的な問題に過ぎないことも(上述したように)理解できるんですから。
例えば英語で書かれたドキュメントがあるとして、a)原文を自分で読んだ場合とb)別の人がつくった和訳を読んだ場合とを比較して、a)の場合の方が正確な理解に至るという原理的な保証などありません。事実問題としては、原文を自分で読んで和訳の間違いに気づくということもあるでしょう。しかし、なまじ自分で英文を読んだ結果、正しく和訳されている部分を誤読してしまう、ということだってありうるわけです。翻訳者を疑うのなら、原文を読む自分だって疑わなければ筋が通りません*1南京事件に関する史料は日本語によるものの他英語、中国語、ドイツ語といったポピュラーな言語で書かれたものばかりで、読み書きできる人が少ないマイナーな言語による史料なんて関わっていないわけです。南京事件研究者の一人一人が英語、中国語、ドイツ語のすべてをこなすとは限らないけれども「研究者集団」としては中国語もドイツ語もわかる、といってよいわけです。そうした研究者集団が日本語で公表している成果が目の前にあるのに、「中国語がわからないと…」と主張するのはむしろ傲慢と言うべきでしょう。まるで中国語さえわかるのなら、研究者の集合知を凌駕できると言わんばかりじゃありませんか。Jonahさんが「南京大虐殺研究者の大半は中国語も日本語も英語もできると思いますが、そうした人々の研究成果を一言で無効化する発言ですね」と指摘しておられる通りです。
だいたい、これまたrnaさんがコメントで指摘されていることですが、ここでは中国語のテクストの解釈が問題になってるんじゃないんですな。「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」のある箇所を「すでに書かれていたものを、買い取った」と解釈してよいかどうかで議論がわかれてるんじゃありません。だから「買い取る」を中国語でどういうか、などというのは(現時点では)どうでもいい問題なんですな。否定論者の誰かが「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」を読んで「そんなこと書いてないじゃないか」と言い出せばはなしは別ですが。現時点で問題なのは東中野修道が(本人の弁によれば)「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」の存在を知らずに自説を主張していること、および「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」と『曽虚白自伝』の史料評価であるわけです。お得意の「誰が伝えたかがわかれば情報の正確さはわかる」メソッドを駆使して曽虚白について調べてみたらどうかと思うんですが、まあこの人の目的は上述したように「南京事件については語れない、と語り続けること」ですから。

*1:特に"While you are collecting information on Japan, are there some members who understand special Japanese language?"といった英文を書く人の場合。