箸にも棒にもかからぬ「南京大虐殺は真実ではないと思う理由」

『WiLL』の昨年4月号に掲載された鈴木史朗の「南京大虐殺は真実ではないと思う理由」。一読しておよそ批判にも値しないシロモノだとわかるので放っておいたのだが、昨晩これを「捏造不可能な証拠」だと称して持ち出してきた人がいるので、この際片付けておくことにする*1
その「理由」なるものを箇条書きにしてみると、
(1)会津若松の元衛生兵(歩兵第65連隊?)が「死ぬまでにもう一度南京に行きたい」と言っていた/他の元兵士からも“いい話”を聞いた
(2)自分が幼い頃過ごした天津(!)はのどかだった/「南京大虐殺」については聞いたことがなかった/南京にも行ったことがある
(3)東中野修道氏や北村稔氏、西尾幹二氏の「研究成果」
 (3-1)「証拠写真」(!)は捏造だった
 (3-2)ラーベの感謝状(!)
 (3-3)映画『南京』


(3)についてはすでに批判が積み重ねられているのでごく簡単に。
(3-1)そもそも「写真」は証拠としてはほとんど重視されてない。「写真」が使われるのはもっぱら教育とか宣伝といった文脈においてである。まともな歴史学者南京事件について書いた文献で写真が「証拠」として用いられている事例があれば、教えてもらいたい。
(3-2)第一に、その文書が書かれたのは南京陥落直後で、ラーベたちも日本軍の行状を部分的にしか把握していなかった段階。第二に、軍事力でもって自分たちの住んでいる街を支配しようとする相手のご機嫌をうかがおうとするのは、当然の政治的配慮。
(3-3)それって、プロパガンダ映画なんだけど? しかも「不都合なもの」を実力で排除することのできる者が制作した映画。「捏造」なんてお茶の子さいさい。
なお、北村稔がかつてはこう書いていたことも改めて指摘しておこう。

当初、筆者は日中戦争中の英文資料には、国民党の戦時対外宣伝政策に由来する偏向が存在するはずだと考えた。しかし、ティンパリーのWHAT WAR MEANS、『英文中国年鑑』など代表的な国民党の戦時対外刊行物には、予想に反し事実のあからさまな脚色は見いだせなかった。残虐行為の暗示や個人的正義感に基づく非難は見られるが、概ねフェアーな記述であると考えてよいのではないか。少なくとも、一読して「嘘だろう」という感慨をいだかせる記述は存在しない。
(『「南京事件」の探求 その実像をもとめて』、文春新書、124-5頁)


さて(1)と(2)だけど、まずもってこれらがなぜ「捏造不可能な証拠」なのかさっぱりわからない。鈴木史朗が本当のことだけを言っており、かつ本当のことはすべて言っていること、また鈴木が話を聞いたという元兵士が本当のことだけを言っており、かつ本当のことはすべて語っている、という保証はどこにあるのだろうか? 嘘なんて簡単につけるよ?
しかし私は鈴木史朗や元兵士たちが「嘘」をついているとは必ずしも思わないし、そう考える必要もない。(1)、(2)はいずれも、それが「嘘」ではなかったからといって「南京大虐殺は無かった」ことの証拠にはまったくならない代物だからだ。要するにこれらは河村たかしの「親父が……」論法と同じで、個人のごく限られた体験をほんの少し集めただけで南京事件のような規模の出来事を再構成できると思い込む過ち、ないしは読者にそう思わせるインチキに過ぎない。
まして(2)は幼少期の体験である。「私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々」と彼は言うが、38年生まれの彼がはっきりした記憶を持つようになった頃には、とうてい「南京戦直後」とは言えない時期になっていたはずだ。「三、四歳の頃には南京へ」行ったことについては自分でも「まだ記憶はおぼつかない頃」と認めている。まして自分たちが支配者側にいることを踏まえて目の前の光景を批判的に見ることなどできない年齢だ。大人でさえ情報統制により歪んだ現実認識を持っていたことが珍しくない当時のこと、まして幼児の記憶が「捏造不可能な証拠」になどなるはずがない。


一つだけこの記事には興味深いところがある。彼は気づいていないのだろうが、自分の主張をひっくり返すような爆弾を自分で仕込んでしまっているのである。
敗戦後について、鈴木は「さすがに中国人は現実的ですから、コロリと態度が変わりました」と述べ、引き揚げの苦労について述べている。「中国人は……」という物言い自体がレイシズムとの親和性を感じさせるが、それはさておき。もちろん、他国の軍隊に占領された地域で暮らす一般民衆は「現実的」であらざるを得ないだろう。少年時代を連合軍の占領下で暮らした世代の人間である鈴木史朗は、自らの経験からそれを知っているはずである。そうだとすれば、(1)、(2)で列挙されているエピソードは(それらが事実だとして)占領下で暮らす中国人の「現実的」な態度を示しているだけであって、「虐殺が無かった」ことの証拠になどなりようがない。例えば、ある元兵士の言葉として紹介されているもの。

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」

占領下の東京でまったく同じ光景が展開されたとしても、まるで違和感が無いだろう。米軍兵士の靴を磨いてチョコレートをもらう日本人の少年の姿を、私は容易に思い浮かべることができる。そしてそれが、「東京大空襲は無かった」ことの証拠になどなりようがないことは自明である。

*1:ちなみに、おなじみの否定論サイトがご丁寧に書き起してくれてます。http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1115.html