記録を残すということ

NHKで放送された『海軍反省会』シリーズの書籍版、『日本海軍はなぜ過ったか―海軍反省会四〇〇時間の証言より』(澤地久枝半藤一利戸高一成岩波書店)より。

 半藤 アメリカは、真珠湾攻撃のことは、戦争中にすでにやっているんですよ。なぜ日本に奇襲されたのか、と。これを戦争中にやってあるから、東京裁判の判決のなかで、真珠湾奇襲攻撃は一つも追及されていないんです。日本の真珠湾攻撃を本当は、アメリカは徹底的に犯罪として追及するつもりだったんだけれど、連合国側は、アメリカが持ってきた資料をみると、なんだ、アメリカの指導層はみんな日本が攻撃をしかけてくることを知っていたんじゃないか、とわかったんです。というのも、戦争中に彼らはもう責任追及をやっていた。欧米諸国というか、歴史を大事にする国はみんな、きちんとそういうことをやっている。日本人は、歴史を大事にしない国民なんですね。ですから、反省をして、きちんとした文章にして残すということは、いままで聞いたことがないですね。

この鼎談の題材である「海軍反省会」も、戦争の当事者たちがそれなりに真摯に反省をした結果であるとともに、公に「きちんとした文章にして残す」ものではなかったわけだが、それはさておき。

 野田佳彦首相は12日午前の参院予算委員会で、東日本大震災後に開かれた原子力災害対策本部などの議事録が作成されず、当時のメモなどを基に議事概要を復元、公表したことについて「議論の全体が国民に伝わらなかった部分があると思う。後世にきちんとした総括ができるようにしなければいけないという点で、深く反省しなければいけない」と述べた。
(後略)

 行政機関が保有する重要な秘密を漏らした公務員らへの罰則を強化することを柱とした秘密保全法制の整備を提言した政府の有識者会議の議事録が作成されていなかったことがわかった。作成されたのは簡単な要旨だけで、録音もされていない。このため、法令の制定過程などが事後に検証できるよう文書作成を行政機関に求めた公文書管理法(11年4月施行)の趣旨に反しているとの指摘もある。
(後略)

強調はいずれも引用者。文書としてきちんと残さないというのは、要するに歴史の批判に耐える仕事をしていないという自覚があるのでしょうかね。