『海軍反省会』

参考:http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
一般の読者にとって決して読みやすい本ではない。どんなに理路整然と話すように見える(聞こえる)人のはなしでも、それをそのまま活字にすると妙なところが少なからず出てくるものだが、本書の場合は多くの情報を共有する者たちによる内輪の会の記録であり、また会でどのようなトピックを取り扱うべきか、ということ自体が重要な話題の一つとなっていて予め決められた方向性ではなしが進んでおらず、加えて当時80歳を超えていた者も少なくない高齢者たちの会の記録である。だから同じはなしが何度も出てきたりするのはまだよいとして、どういう脈絡で理解すればよいのかわからないはなしが少なくない。例えば築地の料亭で酔っぱらった加藤寛治岡田啓介の前で越中褌ひとつになってしこを踏みだした、なんてエピソード(327ページ)は旧海軍に詳しい人にとっては何かしらピンと来るところのあるものなのかもしれないが、私程度の知識ではどうにもならない。海軍についても少し勉強してからまたいつか読み直してみようと思っている。
「反省会」は誰に強いられて始まったわけでもない。世の中には“悪玉=陸軍、善玉=海軍”といった図式的な理解があることを当事者も認識しつつ、そうした認識をひっくり返すことになるような「反省」を自ら進んでやろうとしたこと、この点は率直に評価されるべきであろう。また、“あの戦争は間違いだったが、しかし戦争中に培った技術が戦後の経済成長の礎となった”といった、PHP的にはウケのよさそうなものの見方がある。ちょうど今朝の朝日新聞(大阪本社)朝刊に三菱重工業長崎造船所を扱った記事(防衛予算の削減等で技術の維持・継承が困難に、というもの)が載っているのだが、その見出しが「「武蔵」の技に荒波」である。しかしそれについても「酸素魚雷っていうのは、もう天下を取ったようなことを魚雷関係の人が言いますが、これもね、本当に威力を発揮したのは、ガダルカナルの最初の殴り込みだけですね」といった具合(96ページ)。先日ちょっと紹介した件もそうだが、海軍にまつわる戦後の“神話”を自ら解体しようとする意志ははっきりとうかがえる。
他方で、なんといっても内輪ばかりでの会だということや、会が開かれた時期(本書に収録されているのは1980年から81年にかけて開かれた会の記録)に由来する限界も感じる。例えばアメリカが「精神主義とか勅諭とか御製だとか」に依存せずに兵士に戦意を発揮させたことをめぐって、「天皇陛下を上に置いといて、みんなこうやってきた、あの教育」(112ページ)を考え直さねばならない、という至極真っ当な問題提起は出てくる。ところが、それを提起した当人の口から「野元先生がよくおっしゃる、この少し宗教的な教育を加味しないといけないんじゃないですかね」(同所)といった言葉が続き、話を振られた野元・元海軍少将は「明治になってから、その日本精神というか東洋精神というものが、少しお留守になった。そこに私は、一つの欠陥があったように思う」(113ページ)とか「デカルト思想なんかを重んじた」(310ページ)のがいかんとか、“いかにも”なところに着地してしまう、といったあたり。


並行していま『「BC級裁判」を読む』(半藤一利秦郁彦保阪正康・井上亮、日本経済新聞社)を読んでいるのだが、これに関連する大井篤氏の興味深い発言があったのでメモ。

(……)例えば海軍省の法務局なんていうのはね、自分でもおりながら、あの時の法務局長がだれだったか分らない。この前栗栖さんに聞いたら、陸軍なんていうのは全然ね、法務局なんて用事がないっていうんですよ。私は法務局にね、憲法の解釈を聞きに行ったの、そしたら、法務局に居る人が、ああ、そんなことあるんですかってそういうありさま。
(345ページ)