『戦場の軍法会議』

先日、旧陸軍の軍法会議の記録が新たに発見された、ということがNHKで報道されておりました。

焼かれるなどしてほとんど残されていないという戦時中の軍法会議の記録が見つかり、専門家は、戦況が悪化するなか、追い詰められていく隊員たちの心情を知ることができる貴重な記録だとしています。


見つかったのは、太平洋戦争末期の昭和19年、当時、広島市にあった陸軍部隊の軍法会議で出された142件の判決文です。

「広島にあった陸軍部隊」とは、船舶司令部に属する通称「暁部隊」です。船舶司令部といえば召集された丸山眞男被爆時に所属していたところですが、その丸山が被爆体験について語っているテープの存在が明らかになった、という報道もありました。

この記事中でも「原爆が投下された45年8月6日の時点では、広島の陸軍暁部隊情報班の1等兵だった」と軍歴に触れています。ある時期の丸山眞男ほど「マスメディアで発信する」ためのリソースに恵まれていた人間はそうそういないと思いますが、その丸山にして「念頭にないのか、意識の下に無理に追い落とそうとしたのか、あれだけ戦争については論じたが、原爆を論じなかった」と振り返ることになったわけです。被害体験について語ることの困難さを改めて感じます。
もう一つ、NHKの報道から連想したことがありました。NHK昨年、軍法会議についてのNスペを放送していましたので、ひょっとして同じ取材班の成果では? と思ったわけです。この番組、『戦場の軍法会議〜処刑された日本兵〜』が書籍化されております。

北博昭氏は本書中で取材対象者として登場するほか、巻末で解説「軍法会議にみる戦争と法」を寄稿しています。問題となった軍法会議そのものについては番組と比べて特に詳しく記述されているわけではありませんが、遺族(当ブログでもとりあげたことのある吉池軍曹の遺族を含む)への取材部分はより丁寧に記述されている、という印象です。番組をごらんになった方にも、見逃された方にもお勧めできます。その他、本書にしかない記述から印象的なことをいくつか。
・本書の主人公ともいうべき馬塲東作元法務官は敗戦後、戦犯裁判の弁護人を務め、豊田副武の弁護を担当したとのことで、それに関連して「翌一九四九年(昭和二三年)一〇月に馬塲は無罪を勝ち取る。これで、日本海軍のA級戦犯は皆無となった」という記述があります(228ページ)。しかしこれは「一体どうして?」というレベルの誤りです。そもそも豊田はA級戦犯としては不起訴になっています。また、A級戦犯として訴追された海軍の軍人で死刑になった者は皆無であり、また海軍の被告人中一番の大物というべき永野修身は判決前に病死していますが、嶋田繁太郎らが有罪となっており、「日本海軍のA級戦犯は皆無」は明らかに誤りです。
・北博昭氏が取材していたもう一人の法務官(陸軍)、沖源三郎氏の証言。敗戦後、第一復員省法務課長として「九州大学生体解剖事件」の調査を担当、その際の心境として「もし隠蔽するものなら隠蔽したいと」「中央もそれほど隠蔽してはいかんと、積極的にアメリカ側に資料を出せというような態度ではなかった」「それぞれの職責で、みんなが進駐軍に対してどう隠すか、ということばかり頭にあったんじゃないでしょうか」などと証言しています(231ページ)。オランダによる戦犯裁判の弁護を担当した萩原竹治郎弁護人の「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」という回想は、何もオランダ管轄地域の戦争犯罪に限ったことではない、と考える余地が十分ありそうです。
・本書執筆時点では取材が十分ではなかったとのことですが、空襲被害者らの損害賠償請求訴訟において請求を斥けるロジックとして用いられてきた「受忍論」の形成に、複数の元軍法務官が関わっていた(234ページ)とのことです。