『フィリピンBC級戦犯裁判』

著者が岩波から2010年に刊行した『フィリピンと対日戦犯裁判』の方は未読。ゆえに本書が岩波本の一般向け簡略版なのか、それとも新たな観点や問題意識が加えられているのかについてはいまのところ不明。今後調査してご報告します。
日本の右派が中国、韓国と対比して「反日じゃない」と引き合いに出す国の一つ、フィリピン。そのフィリピンにおける戦後しばらくの対日感情が極めて厳しいものであったこと、アメリカから裁判権を引き継いだ戦犯裁判の特徴、有名なモンテンルパ・ニュービリビッド刑務所での処遇、そして受刑者たちの恩赦、帰国に至るまでの経緯が紹介されている。タイトルは『〜BC級戦犯裁判』だが、内容的にはむしろ裁判後の経緯に重点が置かれている。
フィリピン人の対日感情を示すエピソードの中でも特に印象的なのは、降伏した日本軍将兵らにしばしば「バカヤロウ」など日本語の罵声が浴びせられた、というもの。日本の占領支配がこの地にもたらしたのがなんであったのかを象徴的に示すエピソードといえるだろう。
フィリピンによる戦犯裁判の特徴の一つに、判決における死刑の割合が非常に高いのに対して実際に執行された死刑は少ない*1ことがある。これはフィリピンのキリノ大統領による恩赦*2が行なわれたためだが、本書の特徴は日比双方の資料を用いて、恩赦にいたるまでの日本側の働きかけとフィリピン側の対応とを詳しく記述している点にある。その内容については本書にあたっていただくにしくはないので、今の日本の姿につながると思われる点にのみ触れておく。
まだ正式な外交関係が成立していない当時、フィリピンを訪れた日本人たちはフィリピンが被った被害の甚大さ、フィリピン人の対日感情の厳しさに触れて、それなりに“神妙な”振る舞いに徹したようである。なにしろ恩赦を決断したキリノ大統領自身、日本軍によって2歳の娘を含む家族4人と義母などの親族5人を殺されるという経験をしていた*3。ただ、日本による恩赦の要請は賠償に関する交渉と並行して行なわれていた(最終的には賠償協定の成立前にフィリピン側は恩赦に踏み切った)こともあり、国内ではずいぶんと厚かましいもの言いがまかり通っていたようである。本書で紹介されているものの一つは、第13回国会衆議院外務委員会での菊池義郎*4(自民)の発言。国会議事録から、前後も含めて引用する。

○菊池委員 もう一点。賠償の問題でございますが、この前インドネシアあるいはフィリピンと賠償のことについて折衝せられたのでございますが、その折衝に当つた日本の代表は、こういうことを頭に置いておられたかどうか伺いたいと思うのであります。日本の政府としてはどういう考えであつたか。つまり彼らが要求しております――フィリピンは八十億ドルという厖大な金を要求しておりますが、その彼らがこうむつた損害というものは日本軍のかけた損害でない、彼らみずからの破壊行為によつて生じた損害が六割、七割もあります。われわれは現地を見て参りましたが、日本軍の進撃をはばまんがために、みずから橋梁をごわす、あるいは日本軍の進駐を妨害せんがためにホテルをこわす、病院をこわすあるいはその他の大きな使物をこわすといつたふうに、彼らみずからのゲリラ戦術によつてこうむつた損害が五、六割を占めておるということを、われわれは現地に行つて聞いて来ておるのであります。フィリピンあたりでも百万の人命を損じたといつておりますが、彼らは無知にして日本軍の強いことがわからないから、むちやな抵抗をやつて厖大な人命を損じておる、そういうこともこの賠償の折衝に当りましては、そろばんの中に入れて折衝をすべきであろうと思うのでありますが、これらのことを考えないで賠償に当るなんということは、これまた実にうかつ千万であると思うのであります。日本の外務省といたしましては、そういうことを知つておられるかどうかお伺いしたいと思います。われわれずつと現地をまわつて見て来ておるのであります。

強調は引用者。強調箇所の後者は論外。前者も南京事件否定論者の「清野作戦」論法を想起させる。国境を越えた情報伝達が極めて限られていた当時だったからスルーされただけで、今日なら「炎上」間違いなしの暴言だろう。
もう一つの発言は、かなり真っ当なことを言っているようでいながら、あたかも「兆候」のように本音が漏れ出ている例。第13回国会参議院法務委員会での吉村又三郎参考人(外務事務官)の発言。やはり議事録から、前後を含めて引用する。

参考人(吉村又三郎君) とにかく向うは裁判をやつて判決を下したのでありますから、裁判中にも弁護士側が有力なる反証を挙げた場合に成功した例があります。成功することが多いのであります。裁判への歎願書等によりまして反証を挙げるとかという場合に、反証が向うに採択され、納得された場合に、成功した場合があります。全然成功しないのは、大勢の人がいわゆる同胞愛から出発して、大勢の人が連署で歎願書を出した場合が成功しない場合であります。これはむしろ率直に申上げますると、私の六年間この仕事を連絡して参りました経験から見まして害があつたと思います。と申しますのは、向うは戦犯者に対してさような同情を国民が皆持つているということは戦犯者を擁護し、かばつていると、それではまだ日本人は、戦犯者に対して、戦犯の惡かつたという反省をしていないと、こういうふうな考えを、こういう反響を與えるようであります。でありまするから、向う側に訴える場合には、飽くまでも理詰め、法律的でない限り成功しなかつたのであります。それは過去において成功しなかつたから今後も成功しないと、私はそういう断言はいたしません。今日までそういうものは成功しないどころか害であつた。向うのほうでは、こちらで数万人の署名の歎願書を出せば、向うの係官曰く、我々のほうでも虐待されて殺された人間に対してやはり数万人の同情者があると、どうしてくれるのだと、こういうふうなことでありまして、結局これは外国が相手に立つ問題でありまするから、向う側がどういうふうに受取るかということも考えて参らないと何ら成功しないのであります。こちらの誠意というものが向うに通ずるならば、いいけれども、通じない誠意というものは誠意でなくて、むしろ不当なる誤解を生み、不当なる反撥を生み、不当なる反感を生む。これが私は一番恐れるのでありまして、(後略)

強調は引用者。「向う側がどういうふうに受取るかということも考えて参らないと」と言いながら、予想される反発については内集団べったりな「不当」「誤解」という評価を下してしまう……。
もちろん内集団/外集団の区別に基づくダブルスタンダードはどんな社会にも見られる現象だろうが、戦後間もなくの日本社会の戦犯に対する態度を見ていると、「あれだけの世界戦争を起こしておきながら、こうもあけすけに内集団びいきをダダ漏れにできるのか」と思わざるを得ない。こうした意識を全く克服できずにきた結果が、いまの安倍内閣だろう。


ネット右翼は正座して読むべし。

*1:本書のデータでは151人が起訴され、そのうち52%が死刑判決を受けたが、実際に処刑されたのは17人のみ。

*2:死刑囚の場合1953年7月に無期に減刑、同年12月に釈放。

*3:なお、ニュービリビッド刑務所のブニエ所長もまた、父親を日本軍関係者に殺害されるという経験をもちながら、受刑者の人道的な処遇に務めたと紹介されている。フィリピンがこうむった人的被害の広範さと新興国家の気概を示すことであろうし、また撫順戦犯管理所での処遇を連想させもする。

*4:本書では発言者名は伏せられている。