『BC級裁判」を読む』その1

21世紀の「進歩的文化人」(by 西尾幹二センセ)トリオと日経新聞の井上亮氏(「富田メモ」報道のひと)によるBC級戦犯裁判論。裁かれた事件の類型ごとに章を分けて(序章と第6章をのぞく)、井上氏の執筆による戦犯裁判の紹介・分析と4人による「討議」を組み合わせた構成(さらに各章に著名な戦犯裁判などを扱った1ページのコラムあり)。以下、引用に当たって発言者名を記していないものは井上氏執筆部分からの引用。とりあげられている裁判については maroon_lance さんが一覧にしておられるのでご参照下さい。


一月ほど前に死刑を免れたA級戦犯「聴取書綴」に関する日経新聞の報道を紹介したが、この「聴取書綴」と同じく法務省の事業として豊田隈雄・元海軍大佐、井上忠男・元陸軍中佐らが収集した裁判記録や関係者の聴取記録が援用されているのが本書の特徴と言えよう。
BC級戦犯裁判が話題になる際に常に問題とされる裁判の問題点や連合国側の戦争犯罪についてももちろん触れているが、(論者によって多少ニュアンスの違いはあれども)日本軍による戦争犯罪の相対化や戦犯裁判に対するシニシズム*1に流れることなく、反対に従来の日本社会のBC級戦犯裁判認識の一面性(『私は貝になりたい』の受容に象徴されるような*2)がきちんと批判されている。「本来の責任者が死んでしまって、その身代わりとなった例が多い」(秦、43ページ)とはいえ「事実関係を争って、これは事実無根だという裁判はほとんどない」(井上、62-63ページ)こと、逆に「BC級裁判全体を通じてテーマを立てるとすれば、裁判に当然かかるべき人でありながら、うまく逃げた人たちというカテゴリーがあってもいいんじゃないか」(秦、64-65ページ)といった認識が広く共有されれば、BC級戦犯裁判をめぐる議論もずいぶんと建設的になるのではないだろうか。


講和成立後に日本政府の事業として収集された資料、証言だからさぞかし裁判批判や自己正当化に溢れているのかと思いきや、必ずしもそうでないらしいのが興味深い。例えばスマラン事件について。

 裁判資料によると、事情聴取に応じた軍関係者は「本件の責任者たる日本人を私は鉄面皮な人性をわきまえぬ獣とみなす」(民間人抑留所長)、「かかる『強制的売春』などを犯したる将校は体面を汚し、何ら日本人将校の価値なしと考える」(スマラン憲兵隊長)など被告らを厳しく批判しており、擁護する声はまったくない。
(153ページ)

特に戦犯裁判で弁護人を務めた人が戦後の聞き取りで厳しい見方を披露しているケースが少なくないという。

 裁判の弁護を担当した萩原竹治郎弁護人が一九五八年三月二十八日の聞き取り調査で、この事件を含めた日本軍の戦争犯罪について手厳しい意見を述べている。
 オランダ軍によるバタビア裁判全般についての所見として、「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う」という。
(……)
 荻原の聴取書は「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」と突き放すような言葉で終わっている。
(161-162ページ)

この聴取書に関連して、井上氏は「ほかの戦犯事件でもそうですけれども、かなり突き放している弁護人が多いんですよ。もうやってられない、こいつらはとんでもないやつらだと言っている人がけっこういますね」とも発言している(195ページ)。「多い」とか「けっこう」については具体的な数字の裏付けがない、井上氏の印象に基づく発言ではあるが。
元弁護人の証言としてもう一つ重要なのは、花岡事件の裁判の弁護を担当した牧瀬幸弁護人が裁判対策としての証拠隠滅を告白している、という件。「もしもこれが検察側の入手するところとなったならば、その影響の及ぶところは極めて甚大で、何人絞首刑になるかわからん」と思ったからとのことで(171ページ)、中国人労働者への非人道的な扱いをうかがうことができる。また、この証拠隠滅は牧瀬弁護人の独断ではなく、アメリカ人弁護人と「相談」しその「了承」も得たうえで行なわれたという(170、171ページ)。もし被害者がアメリカ人だったら「了承」しただろうか? と勘ぐる余地はあるとはいえ、被告人の利益を最優先するアメリカ人弁護人の姿勢をうかがわせるエピソードである。

*1:特にこの種のシニシズムから距離をとる姿勢がはっきりしているのは井上氏で、ジェノサイド防止条約やICCを「BC級裁判が残した果実」と位置づけている(417ページ)。

*2:私は貝になりたい』と並んで日本人のBC級戦犯裁判観を形作った『世紀の遺書』への批判もある。「「戦争だから土人を殺すのは当たり前だ。そこら辺にいたのが悪いんだ」というような証言がいっぱいありますからね」(井上、439ページ)、「戦犯を含めて日本人はアジアの民をひどい目に遭わせたことに対して罪の意識は感じなかったと思いますね」(半藤、443ページ)、「辻政信が書いてマレー上陸へ向かう輸送船の中で兵隊に読ませた『これだけ読めば戦は勝てる』を読むとほんとに恐れ入るもの。アジアの民はいかに頭が悪いかとか、「土人」だとか書いてある」(半藤、444ページ)などと、裁かれた側の人権意識の低さが問題視されている。