ホロコースト否定論と同型の論法に逃げ込む橋下市長

そもそも日本政府が「政府資料にないことについては知りません」などという態度をとること自体が論外なのであって「政府資料にもあったことが明らかになったからといって、それがなに?」というレベルのはなしではあるんです。本来は。意味があるとすれば、日本政府がいかにまともな調査をしてこなかったかが改めて明らかになった、というくらいで。ちなみに、バタビアでのオランダによる戦犯裁判については、弁護人をつとめた日本人が戦後に次のように回想しています。

 裁判の弁護を担当した萩原竹治郎弁護人が一九五八年三月二十八日の聞き取り調査で、この事件を含めた日本軍の戦争犯罪について手厳しい意見を述べている。
 オランダ軍によるバタビア裁判全般についての所見として、「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う」という。
(……)
 荻原の聴取書は「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」と突き放すような言葉で終わっている。
半藤一利秦郁彦保阪正康・井上亮、『「BC級裁判」を読む』、日本経済新聞出版社、161-162ページ)


ところで橋下徹大阪市長はすでに「国家の意思」なるものを引き合いに出して予防線を張っています。歴史修正主義について多少の知識のある人間が読めば、直ちに「ヒトラーの命令書」の不在を依りどころにしたホロコースト否定論を想起するところです。ということはもちろん、「大本営の命令がないから国家の意思ではない」などという言い訳が国際社会には通用しないということです。日本のマスメディアがその点をきちんと指摘できるかどうかははなはだこころもとないですが。


なおホロコーストといえば、橋下市長は「世界からは慰安婦がホロコーストや日系人強制収容所と同じ扱いになっている」などとして自己正当化を図っています。「ホロコースト」と「日系人強制収容所」とを「同じ扱い」にすることについては疑問をもっていないようですが。しかしもし日本軍「慰安所」制度が戦後の戦犯裁判できちんと追求されたとすれば、「人道に対する罪」が適用されたであろうことを考えるなら、その点に関して「慰安所」制度とホロコーストを「同じ扱い」にすることには十分な根拠があります。