16年前から明らかになっていた資料がいまさら問題にされる事態の情けなさについて

本エントリは基本的に07年4月19日づけのエントリの焼き直しです。

オランダによる戦犯裁判の「慰安婦」関連資料は、第一次安倍内閣時代の2007年にも報道されたことがあります(以下、いずれも朝日新聞のデータベースサービス、「聞蔵IIビジュアル」による)。

 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。
 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。
 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタンボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。
(後略)

 【ベルリン=金井和之】東京裁判に提出された日本軍慰安婦の証拠資料の存在が研究者らに確認されていた問題で、オランダが東京裁判に提出した尋問調書のオランダ語原文2点など約30点に及ぶ日本軍慰安婦関連資料があったことがわかった。日本軍がオランダ人女性を連行して慰安婦にした状況が詳しく書かれており、今後、翻訳して公表される。
 90年代にオランダ公文書館などから資料を集めていた、ベルリン在住のフリージャーナリスト梶村太一郎さんが10日、明らかにした。
 46年5月16日付の臨時軍法会議の尋問調書はオランダ語の原文で、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性(尋問当時27歳)が、家族に被害が及ぶと憲兵に脅され、日本兵に犯され、その後も将校らの相手をさせられた様子がつづられている。後に英訳されて東京裁判に提出。林博史関東学院大学教授が4月に公表した尋問調書の原文に当たる。
(後略)

この記事で紹介されている資料の発掘が、先日紹介した資料集『「慰安婦」強制連行』(梶村太一郎・村岡崇光・糟谷廣一郎、金曜日)の刊行につながっています。
ところで、最初の記事の見出しが「研究者発見」ではなく「研究者確認」となっているのは、裁判資料がまったくの新発見ではなく過去に存在が確認されていたからです。朝日新聞では1997年に戦犯裁判資料を援用した報道がなされています。

(前略)
 教科書を批判する人たちの多くは「強制」の意味を事実上、軍や官憲による「強制連行」に限定した上で、強制連行を示す資料がないと強調する。
 しかし、このように意味を絞っても「強制連行」の事例は公文書に記録として残されている。日本占領下のジャワ島スマラン(現インドネシア)では、強制的に抑留所に入れられたオランダ人女性のうち二十五人が軍の指示で、「欺まん、暴力、脅迫」によって慰安所に連行されたとするバタビア軍事法廷(オランダによるBC級戦犯裁判)の判決が九二年に公表された。これに対しては「例外的事件」などという反論があったが、インドネシア東ティモールでこのほかにも、軍による現地の女性の「強制連行」を示す資料があった。
(中略)
 国立国会図書館所蔵の極東国際軍事裁判東京裁判)の関係資料を調べたところ、日本軍人の戦争犯罪を立証するための尋問調書などが見つかった。


 モア島(現インドネシア)指揮官だった日本陸軍中尉が、連合国のオランダ軍の取り調べの中で、「現地在住の女性を無理やり慰安婦にした」と供述している(四六年一月)。次のような問答があった。
 問 ある証人はあなたが婦女たちを強姦(ごうかん)し、その婦人たちは兵営へ連れて行かれ、日本人たちの用に供せられたと言いましたがそれは本当ですか。
 答 私は兵隊たちのために娼家(しょうか=売春宿)を一軒設け、私自身もこれを利用しました。
 問 婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか。
 答 ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした。
 問 幾人女がそこに居りましたか。
 答 六人です。
 問 その女たちの中、幾人が娼家に入るように強いられましたか。
 答 五人です。
 問 どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るよう強いられたのですか。
 答 彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘たちでありました。
 問 ではその婦女たちは父親たちのした事の罰として娼家に入るよう強いられたのですね。
 答 左様です。


 モア島のすぐ西にあるチモール島のポルトガル領(現東ティモール)では、進駐した日本軍が、地元の首長に慰安婦募集への協力を強要していた。その様子を目撃したポルトガル人の医院事務員が証言している(四六年六月)。


 「私は日本人が酋長(しゅうちょう)に原住民の女の子たちを娼家に送る事を強要した多くの場所を知っています。彼らはもしも酋長が女の子たちを送らないなら、彼ら即ち日本人が酋長の家に行って彼らの近親の女たちをこの目的で連れ去ると言って脅迫しました」
(後略)

このように、日本政府が保有する文書中に“軍官憲による直接的な強制連行”の証拠となるものが存在することはとうの昔に明らかになっており、さらに日本政府が保有していない資料群についても07年の時点でちゃんと報道されていました。07年の時点でマスメディアや世論がきちんと安倍内閣を追及していれば、今ごろになって「政府資料に強制証拠」などと話題にする必要もなかったし、もちろん歴史修正主義者に「強制連行を示す証拠はない」などと言わせる隙もなかったわけです。
この事実は、歴史修正主義者がいかにヌケヌケと嘘をつくかを示すと同時に、この社会がいかに歴史修正主義に甘いかを示すものだと言えましょう。