マスメディアがほとんどとりあげない安倍内閣の窮状

この記事で問題にされている質問主意書(「強制連行を示す証拠はなかったとする二〇〇七年答弁書に関する質問主意書」)は現時点では質問本文が公開され答弁書受領年月日が10月25日であることが明らかにされているだけで、答弁の本文はまだ公開されていません。答弁本文が公開されたらまたエントリを書く予定ですが、ここではこれまでの経緯を整理しておきたいと思います。
まず「強制連行を示す証拠はなかったとする二〇〇七年答弁書に関する質問主意書」が前提としている2つの質問主意書および答弁について。

後者において赤嶺議員は次のように質問しています。

五 この「判決事実の概要」には、「一九四四年二月末ころから同年四月までの間、部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」との記述がある。「上記女性」とは、「ジャワ島セラマンほかの抑留所に収容中であったオランダ人女性」である。これらの記述は、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」にあたらないのか。

「判決事実の概要」というのはバタビア臨時軍法会議の記録に記されているものです。これに対して答弁書は「政府の認識は、答弁書一の1から3までについてでお答えしたものと同じである」と答えていますが、「答弁書一の1から3までについて」というのが2007年の辻本議員の質問主意書に対する答弁書を指しているわけです。問題のやりとりは以下の通り。

一 《安倍首相の発言》について
 1 「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい。
 2 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相は発言しているが、政府は首相が「なかったのは事実」と断定するに足る「証拠」の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか。予算を含めた調査結果の詳細を明らかにされたい。
 3 安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か。

これ↑が辻元議員の質問です。答弁は以下の通り。

一の1から3までについて
 お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
 調査結果の詳細については、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)において既に公表しているところであるが、調査に関する予算の執行に関する資料については、その保存期間が経過していることから保存されておらず、これについてお答えすることは困難である。

これをどう解釈すれば「これらの記述は、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」にあたらないのか」という赤嶺議員の質問に対する解答たりうるのか、まったく意味不明です。安倍内閣は(1)河野談話の発表までに政府が発見した資料の中にはバタビア臨時軍法会議の記録が含まれていることを認め、(2)その記録の中に「一九四四年二月末ころから同年四月までの間、部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」という記述があったことも認めています。赤嶺議員は(2)が「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」にあたらないのか、と問うているのに対し、安倍内閣は「同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」などと答弁しているわけです。
上記(1)、(2)に加えて(3)バタビア裁判の記録が「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」を含むこと、を認めてしまえば07年の答弁書は虚偽を述べたことが明らかになってしまいます。他方、(2)が「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」ではないと言い張ることもさすがにできなかったようで、進退窮まって「とにかく答えるのを避ける」という手法で乗り切ろうとしているわけです。