「荻上チキ・Session-22」6月13日

コメント欄や掲示板にて情報をご提供いただいていたTBSラジオ荻上チキ・Session-22」の「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード)Podcastにて聴取しました。
注目ポイントはほぼ「秦氏がなにか目新しい主張を展開できるのか?」に絞られていたわけですが、やはり「いやもうそのはなしは終わってるでしょ?」なものばかりでした。よりにもよってアメリカ戦時情報局心理作戦班による「日本人捕虜尋問報告 第49号」を持ち出したあたりは、「慰安婦」問題否認論者にもうまともな手札が存在しないことを証明したと言ってよいでしょう。「慰安婦」の身分についての吉見氏の主張(軍従属者)に対する備えが全くなかったのも特筆すべきポイントかと。
当ブログでは以前に、秦・吉見両氏の「事実」認識は実はそう隔たっていないとする東郷和彦氏の論評*1を紹介したことがありますが、この日も秦氏は当時の娼妓の(そして「慰安婦」の)ほとんどが「身売り」によるものだということは認めています(というより、積極的に主張しています)。そこで「娘を売った親が悪い」ですますのか、それとも身売りの背景にある構造的な貧困への無作為に対する国家の責任や人身売買を積極的に利用した軍の責任を問うのか、というのは「歴史的事実」に関する認識の違いというよりも価値観の相違でしょう。そしてその点に関する限り、日本の右派の主張が国際世論の支持を得る可能性は「お日様が西から昇る可能性と比べれば高い」という程度のものです。
唯一、秦氏が「有効」程度のポイントをあげる可能性があったのは、日本の裁判所が中国人元「慰安婦」の被害事実を認定している、という吉見氏の主張に反論しようとした時、でしょう。法的な事実としては、たしかに日本の裁判所は「強制連行」等の被害事実を認定しています。しかし一方の当事者(この場合元「慰安婦」の女性達)が主張する被害について他方の当事者(この場合日本政府)が争わなかったことをふまえるなら、裁判所の事実認定を過大に評価するのは悪手であると私も考えています。もちろん、仮に国が「強制連行」等の事実について争ったとしても、元「慰安婦」の女性たちの主張をすべて覆せただろうとは思ってはいませんが、「裁判所が事実認定した」ということで安心せずに歴史修正主義者の難癖にきちんと反論する努力をすべきでしょう。もっとも、秦氏は「国家無答責」だの「時効」だのといった余計な論点を持ち出してしまったために、有意味な反論をする唯一のチャンスを自分で潰してしまったと思いますが。

*1:『歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判』、講談社現代新書、79ページ以降。