再反論があるならさっさとすればいいのに

皆さんすでにご承知のとおり、映画『主戦場』の出演者のうちテキサス親父、ケント・ギルバート藤岡信勝藤木俊一(テキサス親父の中の人)、山本優美子の各氏がミキ・デザキ監督に対する民事訴訟を起こしました(訴状)。「Youtube の動画を無断で使用」などという主張は「引用である」で一蹴できそうですし、歴史修正主義*1などと言われて「名誉を毀損された」という主張は「論評である」で片付きそう……と、まあ無理筋な訴訟に思えます。原告の一人藤岡信勝と、原告に加わらなかった杉田水脈とが関わっている「新しい歴史教科書をつくる会」は、教科書刊行運動としてはもう完全に終わってしまっているので、こういうかたちで「運動」を続けるしかないのでしょう。

彼らの不満は煎じ詰めれば「最初に思ったような映画になってなかった」ということに尽きるわけですが、取材対象者のこうした不満に基づく損害賠償請求については、近年の判例でかなり高いハードルが設定されてしまっています。「女性戦犯法廷」についての ETV 特集をめぐって VAWW-NETNHK 他を訴えた裁判、およびチャンネル桜NHK スペシャルの「JAPANデビュー」シリーズをめぐって NHK を訴えた裁判。右も左も敗訴したこれらの裁判で、取材対象者の「期待権」にもとづく請求はいずれも斥けられたからです。

しかも、肝心要の有罪判決言い渡しシーンをカットされてしまった女性戦犯法廷関係者の裏切られ方に比べた場合、『主戦場』に出た右翼たちのクレームのは「自分たちの側が最後に話すように編集しろ!」というものにすぎないので、いじましいにもほどがあります。

 

訴状の中では「インタビューの順序」という見出しをつけて述べられているこのクレームがまったく正当性をもたないのは、次のような理由によります。

そもそも映画『主戦場』は、「慰安婦」問題に関してなにかしら新しい情報を掘り起こした映画ではありません。映画が含んでいる情報はほとんど全て、書籍やネット上のコンテンツの中に含まれていました。多くの観客の注目を集めたケネディ日砂恵氏の離反にしても、マイケル・ヨン氏と彼女がトラブっていたことはヨン自身がブログで暴露していましたから、まったくの新事実というわけではありません。

かといって、デザキ監督はジャーナリストを自称しているわけではないので、これはあの映画のマイナスポイントにはなりません。なにがいいたいかというと、あの映画で吉見義明氏や渡辺美奈氏などが語ったことは、監督を訴えた右派出演者たちにとって完全に予測可能なことでしかなかった、ということです。藤岡氏らは吉見氏らが語ることを先取りしてあらかじめ反論することができたはずなのであり、それをせずにかねてからの主張をただただ繰り返したのは自分たちの選択した結果なのです。

いまからだって「再反論」することはできます。"punish-shusenjo.com" などというこっぱずかしいドメイン名を獲得する暇があるのなら、さっさと再反論すればいいじゃないですか。それをしないのは……できないってことなんですよ。

*1:余談ですが、よく「歴史修正主義」という用語にクレームをつけて「歴史改ざん主義と呼べ」と主張するひとがいます。しかし「歴史改ざん主義者」と誰かを呼んだ場合、「歴史修正主義者」と呼んだ場合に比べて「事実の摘示である」と判断される可能性は高くなるような気がしますね。