弁護士・稲田朋美の珍主張

改めてこの社会がどれほど歴史修正主義に支配されているかを可視化することとなった、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」。政界の歴史修正主義汚染を象徴する人物の一人、稲田朋美衆院議員は次のようにツイートしています。

実際に展示されていた作品についてとてつもなくデタラメな理解をしているのはもう右翼のデフォルトなので、いちいちツッコみません。 

ここで「靖国訴訟」とされているのはおそらく、朝鮮半島出身軍人・軍属の韓国人遺族が、靖国への合祀に対する損害賠償を国などに求めて起こした訴訟のことでしょう(2006年5月26日「しんぶん赤旗」の記事)。「今回は日本人の」と( )書きされていますから、原告が外国人の訴訟であることは確実です。靖国に関しては高金素梅さんら台湾人遺族も訴訟を起こしたことがありますが、2005年6月15日「しんぶん赤旗」の記事には「民族的民族権」という用語は見当たりませんでした。以下、前者の訴訟を指すものとして続けます。

リンク先の記事にもあるように、韓国人遺族の主張は斥けられ、請求棄却となっています。裁判所のこの判断の当否はおくとして、靖国に合祀された死者と遺族の関係性に比べれば、昭和天皇と「日本人」の関係は遥かにぼんやりとしたものです(右翼がどんな寝言をほざこうが)。韓国人遺族の「民族的人格権」の侵害すら認められなかったのに、それを引き合いに出して「民族的人格権(今回は日本人の)を侵害するおそれもあり」などと主張するのは、弁護士としてものすごくセンスが悪いですよね。実際に請求が認められた事例を引き合いに出すならともかく。

 

ちなみに稲田議員とも浅からぬ関係にある人々が『朝日新聞』を相手に起こした訴訟(朝日グレンデール訴訟)では、原告は「民族的アイデンティティ権」なる概念を持ち出しています。

2018年2月の東京高裁判決(敗訴した原告が上告しなかったため確定)では、原告の主張には次のような判断がくだされています(平成29年(ネ)第2594号 米紙謝罪広告等,各米紙謝罪広告掲載等請求控訴事件)。

(1)  控訴人らは、争点1に関し,控訴人らが主張する民族的アイデンティティ権,すなわち,民族的アイデンティティを人格的自律の中核に置いて生き, そのアイデンティティを構成する民族の歴史的事実や民族に対する相対的評価を虚偽の中傷によって歪曲ないし損壊し,もって民族的アイデンティティに基づく社会的評価及び名誉感情を棄損されない権利ないし利益は憲法 13条の人格的自律権に由来する憲法上の権利であり,その存在が社会的に 認知されている以上,その内包が主観的であることを理由に集団の特定性を否定することはできず,被控訴人の本件各記事の掲載等によって,「日本人 としてのアイデンティティと歴史の真実を大切にし,これを人格的尊厳の中 核に置いて生きている日本人」の名誉が毀損されたものと主張する。

 控訴人らは,本件訴訟において,被控訴人の本件各記事の掲載等によって, 名誉が毀損されたとして,私法上の救済として,名誉回復のための謝罪広告 等又は慰謝料の支払を求めているが,人格権たる名誉権の侵害とは人の客観 的な社会的評価を低下させる行為をいうのであって,そこでいう社会的評価 は名誉権侵害を主張する特定の人に対する評価であることは,私法上の権利侵害の救済を図ることを目的とする不法行為制度が当然の前提とするところである。そして,控訴人らが主張する「日本人としてのアイデンティティ
と歴史の真実を大切にし,これを自らの人格的尊厳の中核において生きている日本人」ということだけでは,社会的評価が帰属する人として特定しているものと評価できないばかりか,社会的評価が帰属する一定の集団を構成する人としても特定しているものとは評価できないことは引用に係る原判決(第3の1 (5))が説示したとおりである。このことは,民族的アイデンティティ権が憲法に由来する権利であるかどうかに関わるものではない。

 チャンネル桜あたりが稲田センセーの判断を信用してまたお得意の「一万人集団訴訟」なんかを起こしたとしても、同じような判断が下るでしょうね。