各種史料・証言の作成時期からみた「百人斬り」
「百人斬り」訴訟においては原告、被告双方がいくつもの証書、史料を証拠として提出しましたが、その作成時期を次のように分類してみましょう。
(1)南京攻略戦当時から、敗戦まで
(2)敗戦から軍事裁判まで
(3)軍事裁判から70年代の「論争」まで
(4)70年代の論争中
(5)論争が一旦収束してから否定派によって蒸し返されるまで
(6)訴訟が準備されてから判決まで
被告側の証拠が(1)〜(6)の各時期にわたっているのに対して、原告側のそれは(2)と(6)に大きく偏っています。例えば『諸君!』が「朝日新聞の『ゴメンナサイ』」を掲載したのは72年1月号、鈴木明の「『南京大虐殺』のまぼろし」の連載開始は72年4月号でしたが、志々目彰氏の雑誌『中国』への投稿は71年12月号に掲載されていますから、ちょっと微妙とはいえ*1(3)の時期に属するものです。望月氏の従軍記は1985年に出されていますから(5)の時期にあたります。被告側が(5)の時期に発掘した史料・資料はありますが、そのほとんどは(1)や(4)の時期に作成されたものです(「百人斬り」のその後についての報道など)。では原告側の主張の骨格を支えるような史料に(1)や(3)、(5)といった時期のものはあるでしょうか? 見るひとが見れば、これだけでも判決の行方は予想できたでしょう。
*1:しかし志々目彰氏の投稿が連載「中国の旅」への反響としては「早期の例」であることは原告側も控訴理由書で認めています。