否定派はいい加減70年代レベルの議論をアップデートしてほしい(追記あり)

ここでコメントしている「一知半解」氏一人をどうこうするつもりもないのですが、典型的な振る舞いの一例ではあるし、ぼちぼちコメント欄も容量の限界に近づきそうなので、改めてエントリを立てておくことにします。


本題に入る前に、「一知半解」氏が初めて当ブログにコメントした際の論点、山本七平の「警句」なるものについて再確認しておきましょう。
「一知半解」氏は従軍「慰安婦」問題に関連して、『日本人とユダヤ人』から次の文章を引用し、この「警告」に耳を傾けよと主張していました。

朝鮮戦争は、日本の資本家が(儲けるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。

氏はページ数を明記していませんが、私がもっている角川文庫版では194-5頁にあるこの文章には、次のような続きがあります。

これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。

「事実であろうと、なかろうと」ですよ。これこそ「安易に聞き流してはいけない」言葉です。
ところで、私は「一知半解」氏に「朝鮮戦争は、日本の資本家が(儲けるため)たくらんだものである」と主張した「進歩的日本人」って誰なのですか? と問いました。もちろん、朝鮮戦争に関するかつての左派の主張には、いまとなれば間違いであったことが明らかなものがありました。“資本家の陰謀”もよく語られたストーリーではあります。それにしたって1950年に起きた戦争を「日本の資本家が(儲けるため)たくらんだ」とするのは並大抵のことではありません。なにしろ講和条約を締結して主権を回復する以前のはなしですから。しかし氏はこの問いに答えられなかったにもかかわらず、山本七平の「警告」は有効だと主張しつづけたわけです。その彼がいま、「「百人斬り」の両少尉が据物斬りで多数の中国人を殺害したという根拠は何なのか? を問おうとしているわけです。「その言葉が事実であろうと、なかろうと」という山本七平の言葉をなんとも思わない彼が、です。


さて、氏は次のように主張します。

誤解されているようですが、私は据え物斬りが全く無かった…とは主張していません。おそらく捕虜殺害したケースもあっただろうし、戦闘中に斬殺したケースもあったとは思います。
ただ、両少尉が百人近く「据え物」斬り競争をした。そしてそれは本多勝一らによって論証されている…との主張には、正直疑問に思うから質問しているに過ぎません。

だったらいまさらなにを問題にしたいの? と言いたいところです。氏はいったい何人くらいだったら「あっただろう」と考えるのか? 100人が20人だったら我々の歴史理解が大きく変わるのか? 実際に殺害した人数がずっと少なかったとすれば彼らはホラ吹きだったということになるわけだが、それが彼らの「名誉回復」につながるのか? いわゆる「百人斬り」論争を通じて明らかになったことの一つは、南京での戦犯裁判で死刑になった3人の下級将校の事例以外にも「○○人斬り」という報道が多数あったこと、でした。ですから、「一知半解」氏が考えるところの左翼でこの問題に関心と一定の知識のある人間(そしてもちろん、保守派であってもこの問題について正確な知識を持っている人間)の共通了解とは次のようなものです。中国戦線においては、白兵戦のみならず「据物斬り」としての捕虜や非戦闘員の殺害が多数行なわれた。たまたま新聞報道が中国にも伝わった3人の下級将校が戦犯裁判で死刑になったが、「百人斬り」「三百人斬り」は彼ら3人に特有な、個人的な戦争犯罪ではなく、日本軍の(そして当時の日本社会の)あり方そのものがはらむ問題である、と。つまり両少尉(あるいは3人の少尉もう一人の大尉を含めて)*1にこだわっているのは否定派の方なのです。ところが「一知半解」氏にはそれがどうしても理解できないのです。
氏は笠原十九司氏の『「百人斬り競争」と南京事件』の第3章と第4章に「目を通し」たと主張していますが、上述のコメント欄でも指摘しておいたようにまさに「目を通し」ただけで、まともに読んでいないことは明らかです。彼は「両少尉が(百人近く据え物斬りしたという)残虐行為を働いた」という認識について「そう考える日本人はあなた方ぐらいじゃないか」と言い張りますが、「百人斬り訴訟」の高裁判決が「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」と判断している事実からは逃げ回っています。判決を読めば、裁判官が原告、被告双方の主張をどう吟味してこのように判断したのかが追体験できるわけですが、彼はそうするつもりがないようです。
結局のところ、「一知半解」氏が立てこもっているのは山本七平の「最大限三人」説に過ぎません。もともと「百人」という人数は両少尉が言い出したものです(記者のでっちあげであるという原告の主張は裁判所によっても斥けられました)。例えば野田少尉は軍事郵便で「南京入城まで百五斬ったですが、その後無茶苦茶に斬りまくって二百五十三人叩き斬ったです」「戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくってくれました」と自ら書いています。これに対して否定派は、日本刀ではそんなに斬れない、あるいはアリバイがある(これまた判決で斥けられた主張です)、などと主張してきたわけです。しかし、いったん「日本刀ではそんなに斬れない」という先入観をぬぐい去ってみるなら、多少の誇張は別として、上官や同僚、部下の目があるなかで根も葉もない“戦果”を吹聴したと考える方が不自然です。では「最大限三人」説は妥当なのか?
「一知半解」氏によれば「最大限三人」説の根拠は次のようなものなんだそうです。

・竹刀稽古の人間には、引き斬るという動作が出来ないこと(つまり叩くので斬れない)。
・日本刀は左かたに曲がりやすいこと(一旦曲がれば使い物にならない)。
・血糊や脂で斬れなくなること(しょっちゅう砥ぐ必要が出てくる)。
・目釘が持たないこと。

そもそも山本七平(およびそのフォロワー)は新聞報道通りの「百人斬り」、すなわち白兵戦の中での「百人斬り」を否定しようとしていたこと、を想起する必要があります。そしていまや、白兵戦の中での「百人斬り」があったなどと主張している人間はいないのですから、いまだに山本説を引き合いに出すこと自体空振りなのです。脂がついたなら拭うなり研げばよいし、目釘は換えればすむことです。最初の2点については氏が前述笠原本をまともに読んでいないがゆえの空振りです。笠原氏が主張しているのは「名刀と名手、刀と使い手の技量がマッチした場合」(34頁)には多人数を殺傷するに足る実用性を発揮する、ということだからです。粗悪な刀だった場合、技量が未熟だった場合の結果についてもきちんと考慮に入れられているわけです。中でも決定的なのは、第一次上海事変後に海軍砲術学校が日本刀の実用性を調査しており、その調査報告の中には「切りし数四二」ながら「刀身は何ら異状なし」というケースが含まれていた、という事実です。まさかこれまで戦意高揚のためのでっちあげだと言うつもりでしょうか?
これはすでに vagabondさんが指摘されていることですが、実のところ否定派は「現在の価値観」で「百人斬り」を語ろうとするために、両少尉を弁護すると称して両少尉を含む当時の日本人を嘘つき呼ばわりしているわけですね。逆に「一知半解」氏が言うところの左翼の方が「当時の価値観」をふまえたうえで史実に迫ろうとしているわけです。


追記(29日)
(1)山本七平の『私の中の日本軍』を読んでない人のなかには、「最大限三人説」になにか実証的な根拠があるんだろうと思っている人もいるかもしれませんが、ありませんよ。ないんです。浅見定雄が『日本人とユダヤ人』を「エピソード主義」として批判していたことは比較的よく知られていると思いますが、「最大限三人説」もいっしょです。都合のいいエピソードをいくつか並べて「ほら、斬れないでしょ?」と思わせてるだけ。日本刀の出来も様々、使い手の技量も様々という当たり前の事情をふまえて多くの事例を検討したうえでひきだされた、「名刀と名手、刀と使い手の技量がマッチした場合」には多人数の殺傷が可能、という結論とどちらが科学的であるかは明白です。何百万という日本人が戦地にいき、そのうちどれくらいが日本刀を携行していたのかもはや正確な数字はわからないにしても、将校のみならず下士官や兵士、それも歩兵だけでなく輜重兵までもが、あるいは従軍記者までもが軍刀をもって戦地に出かけた事例がある以上、10万単位で軍刀が戦地にいっているわけです。そのうちの多くは刀の性能か技量に問題があって実用的ではなかったにせよ、「名刀と名手、刀と使い手の技量がマッチした場合」もそれなりにあったはず、と考えるのが合理的というものです。


(2)「一知半解」氏が「現在の価値観」で「百人斬り」を語ろうとしている、という点について。次のようなコメントがその好例です。

教えていただいたHPは既読してましたが、あのHPの作者も成瀬関次氏の本のいいとこどりをしてますな。
成瀬関次氏の「日本刀を褒めることで、日本刀を批判する」という真意をわかっていないが為でしょうけど。
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081218/p2#c)

ちなみに成瀬氏の『戦ふ日本刀』という著作は1940年に刊行されたものです。こんなひねくれた深読みをせざるを得ないのは、氏が成瀬氏に「現在の価値観」を投影しているからに過ぎません。


(3)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081228/p1

gokinozaurusu 否定派以外はいい加減否定派をスルーして、人数に関する調査を終わらせて欲しい。/数万人から三十万人は否定派以外でもいくらなんでもぶれすぎ。 2008/12/29

id:gokinozaurusu氏のこのコメントについては続くuchya_x さんのコメントが的確な批判になっていると思いますが、付言するなら犠牲者数の推定すら困難になるのが大量殺戮の本質的(と言ってよい)特徴です。さらに、犠牲者数をなるべく正確に推定しようと思うならばそれにみあった政治的、人的リソースをつぎ込まねばなりません。いまだ見つかっていない(そしてすでに廃棄されもう見つからないかもしれない)戦闘詳報その他の文書を探すためのリソース。自衛隊がもっている旧軍の資料を例外なしにすべて公開させる立法も必要でしょう。南京攻略戦に参戦した将兵の生存者や遺族をすべてあたってまだ知られていない陣中日記の類いが残されているかどうかを確認することも必要です。また、特に南京周辺の農村部(当時の)で網羅的に聞き取り調査してゆくことももちろん必要です。近年中国側の研究者が編纂・刊行した多数の資料集のうち、これまで日本で知られていないものについても邦訳を進めることが望ましいですね(中国語を解さない人間も利用可能になるように)。これだけのことをするのに必要な予算も相当な額にのぼるでしょう。とても数少ない職業的研究者や市民団体の力だけでできることじゃありません。有権者がこれだけのことを日本政府にさせる選択をしない限り、犠牲者数推定の幅を狭めるのも容易なことではないでしょう。

*1:階級はいずれも訴追の対象となった戦争犯罪が行なわれたとされる時期のもの。この注追記。