函館俘虜収容所第一分所事件

以前に言及したことはあるのだがとりあげそびれていた本。著者は日系二世アメリカ人で、大戦中には陸軍情報部日本語学校で訓練を受け、マニラを経て横浜に赴任。被告人弁護団の通訳官として二つのBC級戦犯裁判に関わる(三つ目の裁判には数日間だけ関わった)。
本書で特に詳しく記述されているのは、函館俘虜収容所第一分所の分所長だったH少尉の裁判である。著者は死刑という量刑については不当なものと考えているし裁判の手続きについても(主として宣誓供述書の問題をとりあげて)批判的である一方、少尉が「俘虜収容所長〔ママ〕として十分に職責を果たしていたとか、無実の罪を着せられたというのは言い過ぎ」である、ともしている。
このH少尉については以前にとりあげた『北海道の捕虜収容所』に詳しい。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090219/p1
さらに、『法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録』でもH少尉の部下だった衛生下士官の裁判が「分所事件」としてとりあげられているが、『ある日系二世が……』でもH少尉の裁判との関連でこの衛生下士官の裁判が言及されている(ただし『法廷の星条旗』では仮名にされているので名前は一致していない)。同じ事件について被告人の通訳、ジャーナリスト、法律家という三つの視点から書かれた文献が存在し、読み比べることができるというのはなかなか貴重な事例ではないだろうか。


なお、この衛生下士官は日常的に病人を殴って労働を強制したこと(死に至った事例もある)などで起訴され死刑判決をうけたが、その後重労働20年に減刑されている。死者が出ている事例で、物理的な暴力が認定された事件ですら死刑になっていないケースがあるのだから、「ゴボウを食べさせただけで死刑」がいかにありそうにないはなしであるかが知れよう。
『ある日系二世が……』にもゴボウとお灸は登場する。H少尉の裁判に先立つ三つの裁判を記録に基づき振り返っている箇所で、名古屋俘虜収容所第一分所の分所長に対する裁判において元陸軍軍医がお灸に関する証言をしたという記録があること、また「ゴボウを食べた俘虜が木の根を食べさせられたとして非難したという例」が記録に残っている、という。いずれもそれらが裁判の争点の一つとなったであろうことを示すだけで、お灸やゴボウが有罪の原因となったことを示すわけではないことに留意されたい。