ガメ自身が予め封じていた「寓話」説

ガメの「ファランクス」の一部は「ゴボウ」デマを「あれは寓話だ」として擁護しようとしている。ガメ自身がさんざん「歴史記述」という土俵での自身の正当性を訴える(というか厚かましいことにマウンティングする)主張を繰り返していたことを考えるとこれほどアホらしい擁護論もないのだが、中でも決定的なのが次のようなガメの発言だ。

BC級戦犯で犯人の特定が難しかった、というのは、こういう話しをするときは言わない方がいいと思います。論点がうまくつかめない独学のひとだ、という印象を与えてしまうのね。

 

なぜかというと、それは「当たり前」のことで、そもそもBC級戦犯の問題は

 

「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」ことにある。

 これはガメが「ゴボウ」デマをバターン死の行進中の出来事として描いてしまったことと関係がある。実際に捕虜虐待で責任を問われたのは捕虜収容所の関係者が多い。被害者と加害者が長期にわたって接触していた捕虜収容所の場合には被疑者の特定が容易だったが、「死の行進」の途中での出来事ならば当該兵士の特定は困難だったのではないか? という点を私が指摘したことに対する反応が上記の発言だったのである。

ところが、である。これ、ガメが「寓話」を意図していたのだとするとありえない反論なのだ。なぜなら、“異文化間の誤解に基づく悲劇”の寓話をガメが意図していたのであれば、ごぼうを食べさせた=捕虜に親切にした当人が死刑になった、という要素は「寓話」に不可欠なものであるはずである。ところが、「ゴボウ」デマの歴史記述としての真正性を疑われた途端、ガメは「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」として被告人がゴボウを食べさせた本人であったかどうかなどどうでもよい問題だ、と主張してしまったからである。はっきり言って、このただ一点だけでも「寓話」説は完全に破綻していると言わざるを得ない。

 

ところでこのくだらない「寓話」説を反芻していて思い出したことがある。それは百田尚樹の『日本国紀』が書籍の分類コードでは「0095」、すなわち「日本文学、評論、随筆、その他」を割り振られている、という指摘である。宣伝文句では「日本通史の決定版!」を謳っていながら、一般読者がほとんど注目しないCコードでは「日本文学、評論、随筆、その他」扱い。この構図、本人が「歴史記述』としての正当性を主張していながら事実無根を指摘されると周囲が「寓話」だと言い抜けしようとする「ゴボウ」デマとそっくりではないか。

あまりにも無理筋な「寓話」論がはからずも、ガメの歴史修正主義者としての正体を暴露してしまったとすれば、なんとも滑稽な話である。