これはまたみごとな馬脚ですね(追記あり)
関連エントリ:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100122/p1
- ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」
こんな↑タイトルのエントリが私に関係あるとは思わないじゃないですか。てっきり「裁判記録」の件にせよ靖国問題矮小化の件にせよだんまりを決め込むんだろうと思ってたからスルーしてたんですが、その後「念のため」と思ってスクロールして行ったらびっくりしましたよ。あわよくば「常連読者の目には留まるが、Apemanは気づかない」ですむと思ったのかな。それとも古い本だからどうせ手に入るまいと高をくくったのか。まあ、世の中そう甘くないんだけどね。
なお、靖国問題矮小化の件は完全スルー。「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした」などと抜かすやつに「礼儀」だの「建設的な議論」だのを口にする資格はないわけですよ。そんなことは何語が母語だろうがどんな第二言語を習得しようが関係ない。どのような議論がなされているかを正確に把握する意志さえない人間に、「建設的な議論」なんてできません。
ところで、上記エントリでgameover1001氏は致命的なミスをしてます。ファンの人には気の毒だけど、こいつはインチキ野郎ですよ。「七平メソッド」臭を感じた私の勘は間違ってなかった。「裁判記録」なんて読んでないことも確信しました。その致命的なミスとは次の一節です。
BC級戦犯で犯人の特定が難しかった、というのは、こういう話しをするときは言わない方がいいと思います。論点がうまくつかめない独学のひとだ、という印象を与えてしまうのね。
なぜかというと、それは「当たり前」のことで、そもそもBC級戦犯の問題は
「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」ことにある。
8カ国が行った、そしてアメリカだけでも5カ所の法廷で開かれたBC級戦犯裁判をひとくくりにしているあたりがまず「論点がうまくつかめない独学のひと」という感じですな。日本側の調査でも「人違いで逮捕され裁かれた」と申し立てた例があるのは確かだが、被疑者の側の言い分をそのまま鵜呑みにしたとしてもそうした事例がやたら滅多らあるわけではない。捕虜虐待の責任を問われたのは多くが捕虜収容所の関係者だったから、そうそう人違いなど起きるものではないのだ*1。またBC級戦犯裁判が多分に復讐裁判だったとしても、いや、復讐裁判であればこそ犯人の特定には強い関心をもつはずである。だって、人違いをすれば真犯人を取り逃がすことになるんだから。「被疑者が本当に犯人かどうか」に関心がないとすれば、それは「自国政府、ないし自国民の関心が非常に高い事件で、にもかかわらず犯人を捕らえることができず、とにかく被疑者を作り出す必要に検察が迫られた場合」であろうが、「バターン死の行進」の場合には最高責任者たる本間中将が逮捕されている。
といった一般論は二次的なことなんですな、しかし。彼がなんと書いていたか、もう一度引用しておきましょう(強調、〔 〕内は引用者)。
彼〔=アメリカ兵〕は、戦時中に受けた屈辱を法廷で晴らしたいと考えた。
結果は残酷で許し難い捕虜虐待であるという判決でした。
この若い日本の兵隊は自分の善意というものを、どれほど呪ったことでしょう。
そう、ここでは「キンピラゴボウ」を与えた兵隊が正しく特定されたという前提のオハナシになっていたのであります。アメリカ兵の方も「戦時中に受けた屈辱を法廷で晴らしたいと考えた」のだから「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」なんてことはないのであります。「この若い日本の兵隊は自分の善意というものを、どれほど呪ったことでしょう」などという想像は「正しい個人が特定された」という前提でなければ成立しません。逆に「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」を前提とするなら、この被告人が呪ったのは自分の不運やずさんな捜査であったかもしれないじゃないですか。「正しい個人が特定された」という設定のオハナシを書いたのだから、「戦後になって特定できたというのが極めて疑わしい」という私の批判に対しては「いや、ちゃんと特定できたのだ」と答えなければならなかったんですな。こういう自家撞着を起こしてしまうのは「論点がうまくつかめない独学のひと」、というより「独学」すらしてねーからです。場当たり的に釈明しようとするから自分のオハナシの前提をひっくり返してしまうようなことを言い出す。
それから「たとえば英文の資料だけにあたって書いた研究者の本は、日本人への無理解にみちみちていて、とても読めたものではないものも多いのです」というのもわけのわからない、一体なにに反論しようとしているのか理解に苦しむ一節です。「英文の資料だけにあたって書いた研究者の本」なんてのは、そりゃアメリカ人が書いたものならそういうのもあるだろうけど、日本語話者である私がわざわざそんなものを主たる情報源にするわきゃないじゃん(笑) 想像するにこれ、私が「『BC級戦犯裁判』(林博史、岩波新書)は米軍資料に依拠してこれとは違う数字を挙げているが」と書いたことを念頭において、「Apemanが依っている本はヘンコーしとる」と自分の読者に印象づけようとしてるんだろう。だけど、わざわざ自分の母語で書かれた資料を無視する奇特な日本人研究者なんていないから。まあ、南京事件についてわざと日本語の資料をオミットして書かれた、けったいな本も存在しているけどね。これはあくまで例外。
追記
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20100125/p1
himajin774 世界 「英語の資料だけ見て書かれたものは云々」というくだりは、そういう例もあるから逆に日本語の資料だけ読んでも偏る可能性があるよ、という意味だと思う。違ったらすみません。 2010/01/25
どういう「意味」かはともかく、反論になってないんですよ。キンピラゴボウを食べさせただけ、つまりは誰も死んでいないケースで死刑判決が出てしかもそれが執行される、なんてのはとんでもないことです。ましてそれが、全体で20数人しか死刑を執行されていない兵士(兵長〜二等兵)ならなおさらです。だけどそんなはなしは戦犯たちの側に肩入れしてBC級戦犯裁判を指弾する文献にだって出てこないのです。私はBC級戦犯裁判については、英語で書かれた文献の翻訳こそ読んだことはあっても、直に英文資料を読んだことはありません。しかし日本の研究者は必要があればもちろん英文資料にあたるし(場合によっては日本語の資料が欠けているので連合国の公文書館が頼り、といったことすらあり)、東京裁判ほどでないにせよBC級戦犯裁判の評価は左右の争いの焦点の一つだったわけで、にもかかわらず、右寄りの研究者だってBC級戦犯裁判全部をひっくるめて「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」なんて乱暴なことは言いません。いるとすれば、プロパガンダが目的で裁判の実態を調べずに言う人だけです。