世界はあなたのネタではない

もうこれは大勢に見せるつもりはないので、目立たないようにこの日付で書く。>b:id:gouk
もはや頭にくるのを越えて「気の毒」の水準に達してしまった。他の方も、ブクマはお控えいただけると幸いです。
まあ、あの人が「自分の主観」以外の世界を発見しない限り、通じないだろうが。


「ゴボウを食べさせただけで死刑になった日本兵」という史実(を装った虚偽)について感想を書けば、それはすでに史実について(誤って)語ったことになる。こんなことは当たり前。「広島に原爆は落ちなかったんだって。よかったなぁ」などと公言して、「よかったなぁ」という「感想」は真実なんだから「原爆投下は史実か、否か」なんてどうでもいい……などということが通用すると思うか? 大人の世界で。「史実」にかかわりたくないのなら、史実ないし史実と称されている事柄からはことごとく距離を置くべきなのであって、自分から自称史実にコミットしておいて「史実について語るつもりはない」などという言い抜けは通用しない。「秘密の日記帳」にひっそり記すのではなく誰でも読める場で書いた以上、それが「感想」だろうが「実感」だろうが前提となる事実の真偽について問われるのは当然で、それが「ものを書く責任」を引き受けるということ。そんな責任は負えない、というのならすべてのエントリの冒頭と末尾に「このエントリは“私の実感”であり、文中の記述は実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません」と宣言すべき。


誰しもが(原理的には)共有し得る事実を踏まえてこそ、その事実について自由に、「思い思い」の「感想」を書くことができるのであり、誰しもが共有し得る根拠を踏まえてこそ、ある事実をどのように記述すべきかについて自由に、「思い思い」のスタンスをとることができる。そうした根拠や事実の共有のための努力を一切合切放棄しておいて「私の思いを尊重しろ〜」というのは単なる甘え。そんな甘えを赤の他人が許容する理由なんてない。


はっきり言って、知りもしないし知る気もない事柄についておおっぴらに語ろうという性根が理解できない。そもそも「知らないこと」についてどうやったら語り得るというのだ? ガメ氏のエントリで戦犯裁判のある一面について「知った」と思ったからこそ「感想」を抱いたのではないのか? その「知った」と思った、が間違いであるとわかれば、読み手兼書き手としてしかるべき責任の取り方があるのではないのか? 「素人」を言い訳にするなら、自分が「素人」である領域については口をつぐむべきだし、「素人」なりに語ろうとするなら「素人」なりの調べようというものがある。誰もが自分のように無責任な態度でことばを発していると思うな。そしてそんな無責任な態度が当たり前のように許容されると思うな。そのくせ「知りもしないことについて語る気なんて毛頭ないけどな」なんてぬけぬけと言ってるしな。


「悪意」なんてものは不可視な胸の内にあるなにものかではなく、振る舞いを通じて他者が判断するもんなんだよ。虚偽に基づいて「感想」を書いて――あるいは虚偽に基づく「感想」を読んでその感想を書いて――、それが虚偽であることを指摘されても居直るようなら、そこに「悪意」を見いだされても文句は言えない。大人の世界では。あんたの「胸の内」なんかには関心ないしそもそもアクセスのしようがないんだからさ、こちらは。


あとはもう、誤読力が半端ない。どこをどう読んだらそういう理解になる? のオンパレード。すべて挙げていけばきりがないので、あちらのエントリだけをたまたま読んだひとが鵜呑みにしたらこちらの名誉に深刻に関わる、というものに絞って指摘しておく。

>宣誓供述書に大きく依存した裁判への批判が"反対尋問"に相当するプロセス抜きでなされたのでは意味がない。ろくに実態も調べずに批判したのでは、批判がよって立つ基盤を掘り崩すだけである。


ここが言いたいことであり、他のコメントを補足して考えると、どうやら


「宣誓供述書」についての問題をまず考えろ、っていうのが結論だったらしい。

はあ? 「宣誓供述書」はあまたある論点の一つに過ぎないんだよ。「東京裁判を含む戦犯裁判批判の論点の一つとして」と書いてあるのが目に入らなかったか?(そういや、このひとは他のところでも全称命題と特称命題の違いを無視してたが) どう読んだって「結論」は「ろくに実態も調べずに批判したのでは、批判がよって立つ基盤を掘り崩すだけである」だろうが。BC級戦犯裁判について批判的に言及するなら――そう、あんたに自覚がなくてもあんたはそうしたんだ――裁判の実態を調べてからやれ、ってことだろうが。

ごぼうってかいてあったんでしょ?


元捕虜などの宣誓供述書が数多く証拠として採用されたという問題があったんでしょ?


それがわかっているのに、なんでそれでよしとしてあげないんだろう?


と、思っていました。だからなんで?って聞いていた。

なんで「よしとしてあげ」られるのかがさっぱりわからないよ。「よしとしてあげ」られるのは、「ゴボウを食べさせただけで死刑になった」ことを示す記録が出てきた時だけなんだよ。

「ガメさんを信じない根拠」って書いているのに
「ガメさんを信じる客観的な根拠」って勝手に誤読して、しかも違う場所にこじつけやがって。

これ、元のやりとりはこう↓。

Apemanさんの言うことが「ガメさんを信じない根拠」にならない理由はよくわかりました。

いや、わかってないね。というかはなしは逆で、「ガメさんを信じる客観的な根拠」なんてなに一つないじゃん。あるなら出せよ。

このひとは要するに「というかはなしは逆で」の意味するところがまるでわかってない。

idコールにて私の発言は「なんの根拠もない自分の信仰」と言ってきたので、
#やっぱり感想は持っちゃいけないらしい。

これについてはすでに上述したけど、ここではアプローチを変えて「あんたは存在しないものについての感想を抱けるのか?」と問うておこう。

全ての記事はどちらかの立場に偏った感想などは一切含めてはならず、
史実のみを正確に記述しなければならない。




という絶対的な理念をお持ちであるならば、確かに「正当」なことであるだろう。

「ちゃんと事実を確認しろよ」的な批判をすると一定の割合で帰ってくる逆切れの典型。「事実について感想書くなら、その事実についてちゃんと確認しろよ」が脳内で「感想書くな」に変換されてしまう。やれやれ……。
極めつけはこれかな。

あ、でもガメさんについては違うよ?真実は認識しつつ
偏見にまみれたひどい研究書、の方に憤慨したんだと思っていた。


で、ひどい偏見文を読んで憤慨したっていーじゃねーか、と思っていたのだけど


何故かガメさんが偏見で解釈した歴史を語っている、風なことになっていて


???????


になっていたんだよね。


で、その根拠が「偏見にまみれたひどい研究書、更にはその元になるような
一次ソースなんてあるはずがない」という話になっていた。

これ、凄いよね。ガメ氏は「裁判記録」を読んだと主張していたのにそれが「偏見にまみれたひどい研究書」にすり替えられてる。すり替える必要があったのはもちろん「真実は認識しつつ」を死守するためだろうが。「ガメさんが偏見で解釈した歴史を語っている」じゃなくて、「あんたの語ってるそれは史実なのか? そうは思えないんだが」だろうが。ひどい偏見だw
最後の二行は本当にひどい。「偏見にまみれたひどい研究書」が「あるはずがない」なんてどこで言った? おれが言ったのは「「英文の資料だけにあたって書いた研究者の本」なんてのは、そりゃアメリカ人が書いたものならそういうのもあるだろうけど」だぞ! 「一次ソースなんてあるはずがない」についてはその根拠をさんざん説明したし、事実「一次ソース」がないのなら「ガメ氏の語ったエピソードは史実ではなく虚偽」になるに決まってるじゃないか。