gouk id:y_arim氏 更に言うとそれ読んでガメさんが勝手に日本兵の心を妄想したことについては、私はそりゃガメさんの受け取り方の問題で真偽は関係ないと思うよ。そんな妄想されて不愉快だって人がいるのも別に構わんし 2010/01/26
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kamayan/20100126%231264440843
gouk id:Wallerstein氏情報ありがとう。要は牛蒡だけが死刑を決めたように読めたのが気に入らないのね?心動かされたポイントだけを抜粋して個人ブログに書くのの何が悪いかわからんが→http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3395418.html(メタブへ 2010/01/26
ガチで「事実であろうが、なかろうが」の人ですな。「ゴボウを食べさせた」というただそのことだけが死刑判決につながったというのは史実かどうか、という事柄がどうでもよいと思える、ってのは一体どういう人権感覚なのだろうか。ちょっと私には理解できない。誰か、理解できる人がいたら教えてください。「感動」のためならどんなものでも真偽を問わずネタにしてよい、というメンタリティーなんでしょうか?
それから、次のブコメは意味不明。
gouk id:y_arim氏 この人は→「アメリカ人が書いたものならそういうのもあるだろうけど(中略)情報源にするわきゃないじゃん」と書いていて「木の枝つっこまれた」と書かれているかは不明であるのでこの説明は変。 2010/01/26
(http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20100125/p1)
y_arim さん、意味わかります?
追記:「木の枝」は「木の根」? しかし「つっこまれた」ってのはどっから出てきたんだろ。「アメリカ人の胸に突き倒すような勢いで自分の乏しい昼食を押しつける」→「「こともあろうに木の根っこを口に入れる」ことを強要されたのだ」をさらに脳内変換したのか?
「この説明」というのは y_arim氏の「目的は手段を肯定しない」以外にはありえまい。しかし「と書かれているかは不明」であることがなぜ「目的は手段を肯定しない」が「変」だということの根拠になるのか? そして私がBC級戦犯裁判に関して、英語資料のみを用いて書かれたような本を「主たる」情報源にするわけがないということと、「木の枝つっこまれた」と書かれているかは不明であることとがどう繋がるのか? どこをとっても謎だらけ。
再追記:id:morimori_68 さんへ
morimori_68 ふむ 事実などどうでもいい、信じたい物語だけを信じたいように信じる、という立場もあっていいのはいいんだが。 2010/01/27
「私がこれから書く物語は私が信じたいものです(したがって必ずしも真実とは限りません)」と言うことと、他人が事実として提示している物語について「あの人はそれを信じたいのだから、事実かどうかなんてどうでもいいじゃん」と言うこととは大きく違います。前者であれば有効なのはその「物語」に対する批評であって「事実」かどうかの検証ではないでしょうが、後者に対しては私はあくまで「事実」かどうかの水準で争います。