『中国戦線九〇〇日、四二四通の手紙』

-朝日新聞DIGITAL 2019年5月28日 「山梨)日中戦争 戦地の様子生々しく 手紙を書籍化

 「中国戦線九〇〇日、四二四通の手紙」と題された一冊の本が出版された。収められているのは、出征した日中戦争の戦地から若き兵士が留守宅の家族へ宛てた便り。約2年半、ほぼ2日に1通の割合で、戦場や街の様子をルポルタージュのように生々しく伝えた記録だ。

(後略)

この手紙についてはNHKオンラインが2016年に「戦跡 薄れる記憶」シリーズの一つ「憲兵だった父の隠された手紙」においてとりあげています。地上波で放送したという情報を見つけることができず、また私自身当時見かけた記憶もないので、NHKオンライン独自のコンテンツのようです。「戦跡 薄れる記憶」はいまのところ2017年版2018年版の存在を確認できました。

朝日の記事にある書籍は手紙を書いた五味民啓さんを著者として、本の泉社から刊行されています。タイトルに「四二四通の手紙」とあるものの収録されているのは約半数、ただし山梨平和ミュージアムで全体を閲覧可能、とのことです。

五味氏の所属部隊は第101師団歩兵149連隊。第101師団は第3師団、第11師団に続く第二陣として上海に派遣されていますが、上海陥落後は南京には向かわず上海の警備任務などについていますので、狭義の南京事件についての記述はないものと思われます。しかし民間人の不法な殺害がすでに上海で始まっていたことを示す記述は見つかりました。

 土民はたいていおとなしい者ですが、まだ危険性もあります。

 毎日二三人で附近の部落の偵察を行ひ、怪しいものは銃殺や刺殺に處してゐます。

(1937年11月16日付の手紙)

 日記ではなく手紙なので、11月に書かれたと思われる手紙に9月の出来事が書かれていたりします。上海上陸(9月22日)直後、おそらく24日のこととして先行した第3師団についての記述があります。

 (……)二日して楊行鎮に到着して何萬の大軍の前に二三百名でささえてゐる名古屋師団の兵隊と交代した。その時の名古屋の兵隊は殆んど生き残りで、佛に近い様なやつれた姿だった。

直ちに101師団も激戦を経験します。

 (……)敵との物凄い交戦が始まったのはその夜からで、上陸後第三日目からである。新聞の連戦連勝の記事や日本軍の強さなどあてにならぬ程強い支那軍だった。(……)

その他、興味深い記述があれば折に触れてご紹介したいと思います。