『南京事件』増補版、ゴシップ(追記あり)

南京事件 増補版』(秦郁彦中公新書)の加筆部分にはけっこうゴシップ的なネタも載っている。いくつか例を挙げてみよう。

 高校の日本史教科書としては定評のある山川出版本で、執筆者が伊藤隆(東大名誉教授)から弟子の加藤陽子(東大准教授)へ交代したさい、大幅な書きかえが行なわれた。二〇〇三年度から使用された『詳説日本史』であるが、前任者が「日本軍は非戦闘員をふくむ多数の中国人を殺害し」と一行ですませていたのを、加藤は分量を三倍近くふくらませ、「日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子をふくむ)および捕虜を殺害した(南京事件)。犠牲者数については、数万人〜四〇万人に及ぶ説がある」と書き直した。
 執筆者はここ数十年、内外の論客が血相を変えて叩きあっている論争の経過に無関心だったのであろうが、それにしても出所不明の「四〇万」にはおどろかされた。(…)
(298-299頁)

21世紀に執筆された教科書に「四〇万」という数字を諸説の一つとして紹介する必要があるか*1と問われたら、私も「その必要はない」と考えるが、この数字の「出所」は産經新聞に掲載された「蒋介石秘録」じゃないの? もちろん執筆者に聞かないことにはなにを念頭においていたかはわからないものの、他にも四〇万とか四三万という数字を挙げたソース自体は存在しているわけで、「出所不明」ってことはないでしょう。
それから「分量を三倍近くふくらませ」というとたいへんな変化のようだが、元々は「一行ですませていた」ことを考えれば三倍になっても記述の絶対量としてはわずかであるわけで、「ふくらませ」と言うほどのことだろうか?(この一文、追記)


公平のために述べておくと、犠牲者数を過少評価しようとする勢力への批判的な記述ももちろんある。例えば偕行社の『南京戦史』および資料集について。279頁に「編集委員など関係者(中略)のなかには、他部隊はともかく出身部隊の不名誉な記録は排除しようと画策した人もいたやに聞くが」とあるのに加えて、290-291頁にはこんな記述もある。

 なお南京戦に参加した師団のうち、第六師団だけは偕行社版の『南京戦史』に不法殺害を思わせる手記、日記の類いが(中略)登載されていないので、連隊会は第六師団を担当した編集委員の努力に感謝したという話が伝わっている。

いずれもソースがハッキリしないので秦氏の個人的な見聞を信用するという前提でしか“使えない”はなしではあるわけだが、南京戦に参加した部隊のうち唯一師団長を刑死させた第6師団関係者が「シロ」の証明に躍起になったというのは十分あり得ることではある。岡村寧次が第6師団について書き残したことから判断しても、この師団だけが特別にお行儀の良い師団であったはずはないからである。

*1:この数字は後に削除されたとのこと。私は未確認。