長勇第32軍参謀長の談話

 文部科学省お墨付きの『沖縄戦と民衆』(林博史、大月書店)より。

 長参謀長は新聞紙上で次のように住民を煽った。
「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ。即ち一人一〇殺の闘魂をもって敵を撃破するのだ」、「従って戦場に不要の人間が居てはいかぬ。先ず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、稼働能力のある者は『俺も真の戦兵なり』として自主的に国民義勇軍などを組織し、此の際個人の権利とか利害などを超越して神州護持のため兵隊と同様、総てを捧げることだ」、「敵が上陸し戦ひが激しくなれば増産も輸送も完封されるかも知れぬ。その時一般県民が餓死□□□……□□ったって軍はこれに応ずるわけにはいかぬ。我々は戦争に勝つ重大任務遂行こそ使命であれ、県民の生活を救ふがために負けることは許されるべきものでない」、「沖縄県民の決戦合い言葉」は「『一人一〇殺』これでゆけ」(『沖縄新報』四五年一月二七日)。
 さらに二月一五日付では、「最後に最悪の情況に入り敵上陸せば飽くまで軍の戦力に信頼し必勝不屈の信念をもって戦ひ得るものは統制ある義勇隊員として(三人組など編成)指揮官の下秩序ある行動をとり村や部落単位に所在の軍に協力すること、戦場の情況は千差万別従つて県民の仕事も種々あらう、弾丸運び、糧秣の確保、連絡、その何れも大切であるが直接戦闘の任務につき敵兵を殺すことが最も大事である。県民の戦闘はナタでも鍬でも竹槍でも身近なもので軍隊のことばで言ふ遊撃戦をやるのだ。県民は地勢に通じて居り、夜間の斬込、伏兵攻撃即ちゲリラ戦を以つて向ふのである」(『沖縄新報』二月一五日)。
(114-115ページ)

 第32軍の参謀長が県民に対して「軍の指導を理窟なしに素直に受入れ」ろと談話しているのである。にもかかわらず、「末端の兵士が手榴弾を渡しただけで軍が強制したとみなすのか」などと言ってすべてを「空気」のせいにしようとする人間もいるわけだ。
 また県民の根こそぎ動員の一因としては、当初沖縄に配置されていた第9師団を大本営が台湾に引き抜き、その補充がなされなかったことがある。これまた、末端の兵士だけに責任を押しつけるわけにいかない理由となろう。


 長勇といえば南京攻略戦における捕虜殺害の実質的な責任者の一人ではないかと目されている(左翼が勝手に言ってるんじゃなく、偕行社の『南京戦史資料集I』でも「長中佐が『ヤッチマエ』と言ったこと」は「真実と思われること」とされている)わけだが、沖縄戦においては“南京事件論者が非難する国民党軍の失態”のいくつかが日本軍によって再演されているのも因縁だろうか。上の引用文中で長参謀長は県民に「便衣兵」として戦うよう命じているのである。6月下旬には司令官牛島中将共々、指揮する部隊を降伏させることなく自決してしまった。