長勇の上海出張

まもなく沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わってから66年になりますが、第32軍参謀長だった長勇は上海派遣軍の参謀として南京攻略戦に従軍し、南京陥落後に上海へと出張しています。何のために? 上海派遣軍の参謀長だった飯沼守少将の37年12月19日付け日記にはこう記されています(引用にあたって現代仮名遣いに改めた)。

迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す。

長中佐は25日に南京に戻ってきます。同じく飯沼日記より。

 長中佐上海より帰る。青幇大親分黄金栄に面会上海市政府建物等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整い年末には開業せしめ得る段取りとなれり。
 黄金栄の部下虞洽卿、王一亭等は中南支の一流の財界巨頭なりと。塩は彼等に売却し阿片を何とかして入手せしむる様考慮する筈。(後略)

天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」などという主張が単なる妄言であることは火を見るより明らかですね。