映画『南京の真実』スタッフブログより

本館の掲示板でEzowolfさんからご教示いただいたので見てきました。「老兵は死なず  水島 総」

 それぞれ二時間以上のロングインタビューとなったが、私は意識的に慰安婦の問題を具体的に聞いてみた。南京大虐殺肯定派の人々は、虐殺だけではなく、二万人から八万人の日本軍の強姦を主張している。しかし、慰安婦とそのシステムが南京に存在したとすれば、間接的にではあるが、大量の強姦事件などは否定できるのである。まあ、強姦やり放題だったとすれば、慰安婦など必要無い筈だからである。

なるほど。水島氏の認識によれば、日本軍は「強姦やり放題だったとすれば」特に対策など立てる必要はないと考える集団だったようです。もっとも、岡村寧次大将は違うことを言ってますが。

慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
(『岡村寧次大将資料 (上)』、原書房、302ページ)

ただし、その直後にこうありますので、日中戦争では効果が?だったようですが。

 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(同上、302-303ページ)

さて、インタビューの結果はどうだったか。

慰安婦事情について、結論から言えば、南京陥落十日後くらいに物資の到着と同じくして、慰安婦のグループが南京に到着し、営業を始めたとの証言を複数の方から聴取した。

これはほぼ正確な証言だと思われます。というのも、上海派遣軍の参謀長、飯沼守が1937年12月25日の日記に次のように記しているからです(偕行社の『南京事件資料集I』より、強調は引用者)。

長中佐上海より帰る。青幇の大親黄金栄に面会上海市政府建物等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整い年末には開業せしめ得る段取りとなれり。
 黄金栄の部下虞洽卿、王一亭等は中南支の一流の財界巨頭なりと。塩は彼等に売却し阿片を何とかして入手せしむる様考慮する筈。(…)

水島氏は「これまで、この慰安婦の問題は、南京攻略戦の中でもあまり報告されて来なかった」なんておっしゃってますが、それは慰安所の開設が南京陥落から少なくとも10日以上後のことだからであって、従軍慰安婦問題を論じる際にはこの日記は基本的な資料の一つとなっています。
さて、インタビューによって南京陥落後10日ほどたつまでは慰安所がなかったことがわかったわけですが、そうすると、水島氏のロジックによれば、少なくともそれ以前の時期に関しては「大量の強姦事件などは否定でき」ないということになるわけですね。ご苦労さまでした。
その他、「朝鮮人慰安婦が最も多く」とか「日本人慰安婦は割高で、主に将校相手だったらしい」といったあたりは、従軍将兵の回想によくでてくる証言と符合します。

買春の値段を聞くと、兵隊は挑戦人慰安婦相手だと、八十銭と安く、一日、一人で十人以上を相手にしたそうだから、結構、いい金になったのである。当時、二百円あれば家を買えた時代である。

おなじみの論法ですが、日中戦争最初期の事例ですから、結果として「いい金になった」可能性はもちろん否定できません。しかしながら、「買春の値段」が「安く」かつ「いい金になった」というのは素朴に考えても妙なはなしです。これはもちろん、「一人で十人以上を相手にしたそう」という過酷な状況を水島氏がさらっとスルーしているからです。さらに、「八十銭」というのはあくまで兵隊が払う金額についての証言であり、慰安婦が受けとる金額でないことも忘れてはなりません。「当時、二百円あれば家を買えた」のかどうか、買えたとしてどこにどれくらいの家が買えたのか…という点については未確認です。
次の段落ではおなじみの犠牲者非難がみられますが、さしあたり「日中戦争最初期の慰安婦の状況をすべての被害者のそれとすり替える詐術」を指摘するにとどめます。
犠牲者非難は従軍慰安婦にとどまらず、沖縄戦の犠牲者にも向かいます。

しかし、生き残った沖縄の人々は、戦火で倒れた沖縄県民の崇高な祖国防衛の志を踏みにじり、生き残ったことの後ろめたさからか、すべての不幸を日本の軍国主義のせいにした。反戦平和を叫びながら、その実、戦争と基地の被害者面で、補償だ、金だと日本政府に要求し、年間一兆円もの金を毎年受け取ってきた。いつの間にか、金を政府から分捕るための隠された目的の反戦平和運動を展開しているのである。

これを読むと「国体」のためにずるずると降伏を引き延ばした思考法が今も健在であることがよく分かりますね。そんなに沖縄に金が渡るのがいやなら、ご自分の地元で米軍基地の招致運動でもしてみてはいかがでしょうかね。
一応トラックバック送ってみますが、さて承認されますかどうか。