中支那方面軍軍律、軍罰令、軍律審判規則

こちらでのhirasan000さんのコメントから派生した話題に関連して。南京事件について論じるのに北支那方面軍の通牒を引き合いに出すのも妙なはなしだが、「捕虜を除く」という但し書きを以て「捕虜は現地で殺してよいことになっていた」などと主張するのは荒唐無稽もいいところ。大方の否定論者が「捕虜じゃなかった(だから殺してよい)」と言い張ろうとしているときに「捕虜として殺害した」と主張しちゃってるわけだから。
さて『南京戦史資料集I』に収録の中支那方面軍軍律(中方軍令第一号)、中支那方面軍軍罰令(中方軍令第二号)、中支那方面軍軍律審判規則(中方軍令第三号)はそれぞれ次の通り。いずれも37年12月1日付けなので南京陥落時にはすでに有効であった。引用にあたりカタカナをひらがなに直した。

極秘
中方軍令第一号
支那方面軍軍律左記の通定む
昭和十二年十二月一日
支那方面軍司令官 松井石根


支那方面軍軍律
第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す
第二条 左記に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
  一、帝国軍に対する反逆行為
  二、間諜行為
  三、前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為
第三条 前条の行為の教唆若は幇助又は予備、陰謀若は未遂も又之を罰す 但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得
第四条 前二条の行為を為し未だ発覚せざる前自首したる者は其の罰を減軽又は免除す

極秘
中方軍令第二号
支那方面軍軍罰令左記の通定む
昭和十二年十二月一日
支那方面軍司令官 松井石根


支那方面軍軍罰令
第一条 本令は中支那方面軍々律を犯したる者に之を適用す
第二条 軍罰の種類左の如し
  一、死
  二、監禁
  三、追放
  四、過料
  五、没取
軍罰の軽重は前項記載の順序による
(第三条〜第九条略)
第十条 二箇以上の犯行あるときは其の軍罰を併科し又は一の重き軍罰のみを科することを得

極秘
中方軍令第三号
支那方面軍軍律審判規則左記の通定む
昭和十二年十二月一日
支那方面軍司令官 松井石根


支那方面軍軍律審判規則
第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す
第二条 軍律会議は上海派遣軍及第十軍に之を設く
第三条 軍律会議は之を設置したる軍の作戦地域内に在り又は其の地域内に於いて軍律を犯したる者に対する事件を管轄す
   (中略)
第四条 軍律会議は軍司令官を以て長官とす
第五条 軍律会議は審判官三名を以て之を構成す
    審判官は陸軍の将校二名及法務官一名を以て充て長官之を命ず
第六条 中華民国人以外の外国人を審判に付せんとするときは方面軍司令官の認可を受くべし
第七条 軍律会議は審判官、検察官及録事列席して之を開く
第八条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くべし
第九条 軍罰の執行は検察官の指揮に依り憲兵をして之を為さしむ
第十条 本令に別段の定めなき事項は陸軍軍法会議中特設軍法会議に関する規定に依る

さて中支那方面軍軍律第一条にいう「帝国臣民以外の人民」が武装・軍装を放棄して逃亡を図った中国兵を含むかどうかであるが、ゆうさんによれば軍律制定時の参謀第二課*1の意見として「四、便衣隊、密偵、兵器等を隠匿せるもの」「七、兵器を所持するもの」などを「厳罰に処す」ことを提案していたとのこと。すると「便衣隊」は軍律の管轄に含まれるというのが軍の認識であったと推定出来る。中支那方面軍軍律審判規則には「軍律裁判抜きの即決処刑」に関する規定などもちろんない。またいわゆる「便衣兵狩り」に際しては「名乗り出れば助命する」として中国軍の敗残兵を集めておいて殺害したケースがあるが、軍律第四条によれば仮に彼らを「便衣隊」だと強弁したとしても「其の罰を減軽又は免除」しなければならないという軍律に違反している、とも言えそうである。


追記:中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令、中支那方面軍軍律審判規則は、「中支那方面軍軍法会議陣中日誌」としてみすず書房の『続・現代資料 6 軍事警察』に収録された文書に含まれている。2月6日(すなわち残されている日誌の最後の日)の日誌のすぐ後に位置しているので、業務に関連した資料をまとめて日誌の後ろに付加したものかと思われる。「軍律制定ニ関スル意見」は日付がなく、参謀部第一課、第二課、そして経理部の意見が記録されている(ただし参謀部第一課は「意見ナシ」)。第十軍法務部の陣中日誌によれば11月29日の部長会議において、同日9時までに各部は意見を提出することになった。同じ日の日誌の終わりの方には「午後九時迄に提出せられたる各部の意見に付ても討議研究を遂げたり」ともある。そもそも中支那方面軍の戦闘序列が下令されたのが12月1日で、また『南京戦史資料集I』によれば中支那方面軍司令部には参謀部第一課、第二課という組織はないので、残されているのは第十軍司令部の各部からの意見であると思われる。中支那方面軍司令部に法務部はなく(法務部陣中日誌ではなく軍法会議陣中日誌となっているのはそのためだろう)、第十軍の法務部長だった小川関治郎を12月28日付で中支那方面軍司令部附として軍法会議などに関連する業務を行なわせているので、第十軍法務部にあった資料が持ち越されたということであろうか。


追記2:みすず書房の『続・現代史資料 6 軍事警察』に所収の中方軍令第一号〜第四号と『南京戦史資料集I』所収のそれとでは次のような異同あり。まず冒頭の「極秘」は『南京戦史資料集』にはあるものの『軍事警察』にはない*2。また後者では軍律第一条が次のようになっている。

本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す<但し中華民国軍隊又は之に準ず軍部隊に属する者に対しては陸戦の法規及慣例に干する条約の規定を準用す>

また『南京戦史資料集』では中方軍令第四号に続けて、次のように出典が示されている。

極秘
中方軍令第四号
支那方面軍軍律審判規則中左の通改正す
(中略)
第六条 上海派遣軍軍律会議及第十軍軍律会議に於て中華民国人以
    外の外国人を審判に付せむとするときは中支那方面軍司令
    官の認可を受くべし
    (以上「中支那方面軍軍法会議陣中日誌」『続・現代史資
    料』6軍事警察所収)

ただし「以上」の範囲が中方軍令第一〜四号全体なのか、中方軍令第四号だけなのかが判断しにくいレイアウト。
また中支那方面軍軍律審判規則に続いて次のような「布告(案)」が収録されているが、『軍事警察』では「布告」は「佈告」となっている。

佈告(案)
我軍の作戦地域内に於て左に掲ぐる行為を為したる者は軍律に照らし死又は重罪に処す 但し発覚前自首したる者は其の罰を減軽又は免除せらるべし
 一 日本軍に対する反逆行為
 二 間諜行為
 三 日本軍所属者に対し危害を加うる行為
(中略)
 七 其の他日本軍の安寧を害し又は軍事行動を妨害する行為
 八 以上の行為を企図し又は教唆し若くは幇助する行為

*1:上海派遣軍の参謀第二課ではないかと思われるが、地元の図書館が休館のため明日以降確認します。←エントリの追記部分を参照。

*2:これは「極秘」印をも翻刻の対象としたかどうかの違いのように思えるが、『南京戦史資料集I』の当該箇所が『軍事警察』を出典としているだけに疑問の残るところ。