『日中戦争から世界戦争へ』
予告の実行か…というと違います。
このブログ(のコメント欄)でも度々言及されている永井和教授*1の『日中戦争から世界戦争へ』(思文閣出版)には「日中戦争と陸軍慰安所の創設」という章があるのだが(第五章)、ここでとりあげるのは第一章「日本陸軍の華北占領地統治計画について」*2。
華北分離工作について調べる必要性を感じていたので、とりあえず第一章を読んだ。今年の2月に出たばかりの本なので詳しい紹介は避けるが、支那駐屯軍司令部が36年9月に作成した「昭和十一年度北支那占領地統治計画」という文書を分析対象とした論文である(統治計画の「綱領」は昭和8年、すなわち満州事変の翌年にあたる1933年から存在していたことがこの文書から明らかになっている。また「統治計画」があるからには当然「戦争計画」もあったわけで、こちらは以前*3から史料的に裏付けられていた)。
42−43ページでも論じられているように、この資料の解釈は満州事変と(狭義の)日中戦争との連続性、すなわち「十五年戦争」という理解の妥当性を巡る議論に大きく影響する。塘沽協定(33年5月)から華北分離工作の表面化(35年6月)までの期間が単なる「小康期」ではなく「準備期」「一時休止期」であったというのが著者の結論、ということになる。37年7月8日の午前3時! に作成された支那駐屯軍参謀起案の「宣伝計画(仮定)」を扱った「附」も非常に興味深い。