「三光作戦」の犠牲者数

従来「三光作戦」による死者数については姫田光義氏が岩波ブックレットの『「三光作戦」とは何だったか――中国人の見た日本の戦争』であげた「247万人以上」という推定があった*1が、先日紹介した笠原十九司氏の『日本軍の治安戦』では「一般民衆で直接・間接に殺害された者が二八七万七三〇六人」(216ページ)とされている。南京事件の場合には日本側資料だけからも加害規模の一端は明らかにできるが「華北の治安戦」の場合には事情が異なるので、これらはいずれも中国側の統計に基づくものだ。姫田、笠原両氏とも中国側の統計が直ちに信頼できる精度をもってはいないことを指摘する一方、笠原氏は人口規模のわかっている村単位での調査が行われていることをうけて「桁外れに誇張された数字ではないと思ってよい」(215ページ)とも評価している。
エリック・ホブズボームは The Age of Extremes: A History of The World, 1914-1991 において、第二次世界大戦における犠牲者数を「文字通り計算不能」としつつ、そのおおよその規模を各国の(当時の)人口に占める推定死者数というかたちで列挙している(Vintage Books 版43ページ。邦訳は手元にないのだが第1章第2節の結び部分)。それによれば、日本と中国はともに総人口の4%〜6%というカテゴリーに(ドイツなどとともに)属している。日本と中国とでは戦争体験のあり方がかなり異なり、その結果戦闘員の死者と非戦闘員の死者との比率も違っているけれども、中国大陸は1937年から起算して8年間戦場となったのであるから、総人口に占める死者数の比率が日本と同程度であるというのは骨の髄まで歴史修正主義レイシズムに染まった人間でもない限り素直に受け入れられることではないだろうか。
この推定を「華北の治安戦」に当てはめてみる。笠原氏が援用した「二八七万七三〇六人」という死者が発生した地域(5つの抗日根拠地に相当)のもとの人口は「九三六三万三〇六人」であったとされている。「二八七万七三〇六人」という(ないしそれに共産党軍の戦死者を加えた)数字がなるほど「桁外れに誇張された数字ではないと思ってよい」ことがよくわかる。

*1:藤原彰氏の『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店)に所収の論文「「三光作戦」と北支那方面軍」でも姫田氏の推定が引かれている。