よくある言いがかりについて―その2

東京裁判の判決については出典を省略し、秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書)、笠原十九司氏の『南京事件』(岩波新書)については書名を省略してページ数のみを示します。
南京事件の全犠牲者数について東京裁判は約20万人と事実認定し、秦郁彦氏は約4万人と推定し(214ページ)、笠原十九司氏は「十数万以上、それも二〇万近いかあるいはそれ以上」(228ページ)としています。一つ前のエントリで明らかにしたのは(1)国際社会も中国も当初から非戦闘員のみならず捕虜などの虐殺も問題としてきたこと、(2)東京裁判の判決も秦説も笠原説も「なにが虐殺か」「期間や空間的範囲はどのようなものか」についてそれぞれ明示的ないし暗黙の定義を示していること、(3)大量殺害は南京陥落前後の比較的短い期間に集中しており、南京事件の時間的な範囲を東京裁判の事実認定より広げたところで犠牲者数推定が顕著に増えたりはしないこと、(4)南京事件の空間的な範囲については東京裁判、秦説、笠原説の間に重大な齟齬はないと解釈し得ること、(5)それゆえ南京事件否定論者および半可通の自称中立野郎の言い草は全部出鱈目であること、です。


さて、以上を踏まえて残る問題である「非戦闘員の犠牲者数推定」に話を進めましょう(ただし、兵士と誤認されて殺害された非戦闘員のケースは前エントリでの考察に含まれているケースが多いので、ここで問題になるのは非戦闘員をそれと承知して殺害したケースが中心になります)。全犠牲者数から戦闘員の犠牲者数(通常の戦死者をのぞく)を差し引くと、秦氏が非戦闘員の犠牲者を約1万人と推定しているのに対し、笠原氏が約2万人以上〜約12万人以上と推定していることがわかります。すなわち、秦説と笠原説の犠牲者数推定の食い違いが主に非戦闘員の犠牲の推定に起因しており、かつ笠原説における推定の大きな幅によって生じていることがよくわかります。
では、秦氏は非戦闘員の犠牲者数をどのように推定しているのでしょうか? 詳細は秦氏の著作を参照していただくとして、基本的には当時南京の金陵大学で社会学を教えていたルイス・スマイスによる被害調査(秦氏独自の修正を加えた数字が2万3千人、笠原氏によれば4万人弱)をベースにしています。スマイスの調査からは個々の事例についてその様態(不法かどうか)がわからないのでざっくり割り引いた結果が秦説の約1万人ということになります。これと対比すれば、笠原説はスマイス調査のデータが実態よりやや過大〜実態をほぼ反映〜実態より過少という3つの可能性を考慮に入れた推定値*1である、ということがわかります。実は「十数万以上、それも二〇万近いかあるいはそれ以上」という笠原氏の表現は何度も秦氏によって揶揄の対象となってきました。一体どれくらいなのかわからないじゃないか、と。それも一理ないわけじゃないのですが、しかし笠原氏の推定は蓋然性の異なる推定値を並列したものと考えれば、それほど奇妙なものではありません。
なぜか? スマイスによる調査は、37年12月から38年3月にかけて、現住者のいる世帯を対象に抽出調査を行ったものであって、網羅的な被害調査ではなかったからです。そのため、例えば一家皆殺しになったり一家離散したような、つまりはより重大な被害を被った世帯ほど調査対象から漏れているというサンプリングの偏りがあるのではないか? という疑いがあります。また、非戦闘員の犠牲者数を推定するための他の資料との整合性という問題もあります。笠原氏があげているのは南京に残留して難民の保護にあたったドイツ人、ヨーン(ジョン)・ラーベが書き記した「およそ五万から六万人」という推定と、南京の慈善団体による死体の埋葬記録(合計すると約18万9千人)です(226-227ページ)。ラーベの推定も埋葬記録もそのまま鵜呑みにできるものでないことは言うまでもありませんが(そして実際に笠原氏は埋葬記録に通常の戦闘による戦死者が含まれていたり二重にカウントされたケースがあるだろうことを指摘していますが)、さりとてリアルタイムの、現場にいた人間・組織による記録ですから頭から否定することもできません。すると、スマイス調査の数字を非常に蓋然性の高いほぼ下限の犠牲者数と考え、ラーベの推定はそれよりやや蓋然性の劣る数字、埋葬記録はそのままでは蓋然性は低いが犠牲者の規模を大まかに推し量るうえでは参考になる数値、としてそれぞれ扱うなら、「十数万以上、それも二〇万近いかあるいはそれ以上」という表現は決して無意味なものではないことがわかります。


ここで強調しておきたいのは(これまでもさんざん強調しては来たのですが)、南京事件の犠牲者数がはっきりしないことの責任のかなりの部分は、旧日本軍・大日本帝国政府、ならびに戦後の日本にあるということです。すなわち、敗戦時に多くの公文書を廃棄・隠滅したこと。いまに至るまで日本政府のイニシアティヴによる調査など一度もなされたことがないこと(一握りの、体制側から歓迎されない研究者やジャーナリストたちだけでできることには自ずから限界があります)。この2つが犠牲者数の正確な推定を困難にしてきたことは明らかです。もちろん、ラウル・ヒルバーグの業績がホロコースト研究に対して行なった偉大な貢献を考えるとき、戦後まださほど間がない時期に中国側の研究者が実証的な手法で調査をしていれば、今日の我々は南京事件の全貌についてより鮮明な像を得ることができていたと考えることは自然なことでしょう。これはこれで、たしかに中国政府や中国市民が学ぶべき教訓ではあります。ただし内戦・革命・革命後の混乱などはそもそも日本の侵略戦争がなければ起きなかった蓋然性が高いということを考えれば、中国側の責任を過大評価するわけにもいかないでしょう。

*1:あるいは実態をほぼ反映〜実態よりやや過少〜実態よりかなり過少という3つの可能性を考慮に入れた推定値、とも言えます。