「南京攻略戦での中国側死者はすべて虐殺の犠牲者だ」と言われたら?

なんか『諸君!』あたりに載る特集の見出しみたいですが。「数学屋のメガネ」さんのコメント欄でゼームス槇というハンドルの人が次のようなコメントをされました。

(…)
中国人の学者が主張しているのは、まさにそういう事と笠原氏が書いていたと思います。即ち、南京事件の犠牲者は、日本軍に殺された全ての中国人であり、
その中には戦闘中に死んだ兵士や、戦闘に巻き込まれて死んだ民間人も含まれる。
あなたは南京事件での日本の責任を直視しているようなので、お聞きしたいのですが、そうした主張になんと答えるのですか?責任を直視するとはそういう相手の立場や考え方を理解した上で、発展的関係を結ぼうという姿勢の現れと思うのですが?

これまでも折に触れて書いてきた問題ですがこの際なので改めて。不法な殺害と合法的な殺害を区別することに意味がある文脈というのは確かに存在します。例えば個人の処罰や日本政府による賠償が問題になっているような場合です。戦後の戦犯裁判ではもちろん、戦時国際法違反の殺害とそうでない殺害が区別されていました(判決における両者の線引きや違法な殺害の犠牲者の推定に異論の余地があっても、違法な殺害だけが訴追の対象となったことに疑いの余地はありません)。
これに対して、中国側が「犠牲者30万人」を主張する*1際には、個人の処罰や賠償・補償が要求されているわけではありません(生存者や犠牲者の遺族が日本政府を相手に個人補償を起こす場合には、あくまで個別の犯罪事例が問題にされるのであって「30万人」分の補償が要求されるわけじゃありません)。先日使った例えを再掲するなら、例えば交通事故による死者の遺族の感情を考えてみるとよいでしょう。犯人を殺人罪で処罰せよ、という要求は受け入れられないから業務上過失致死ないし危険運転致死として裁くしかない。だからといって遺族が「私の家族は殺されました」と語っているときに「いや、殺人じゃなくて業務上過失致死ですよね」とことさら言い立てることに意味があるか? ということは考えてみる必要があるんじゃないでしょうか。このたとえに対してほっけさんがコメントされているように、南京攻略戦が宣戦布告なしにはじまった戦争の初期に起こった事件であることを考えるならなおさらです。
テッド・レオンシス氏らによる映画 Nakning が明らかにしているように、国際社会が「30万人」という数字をそのまま受け入れているわけでもありません。また、かつて秦郁彦が述べていたように、例えば日本政府が公式に「30万人説」に異議を唱えようとするならば、「30万」に代わる数字を「多少の誤差はあってもこれを大幅に上回ったり下回ったりすることはない」という精度で独自に出す必要があります。そもそも日本政府にそのような調査をするつもりがあるとは思えませんが、たとえやる気になったとして南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報すら多くが失われて現存していない(少なくともいまだ見つかっていない)現状で、そんなことが可能でしょうか? 日本側が過剰反応しなければ中国側が「30万人」を強調することの効果も薄れてくるのです。また、「南京での犠牲者30万人」を強調することは、同時に他の地域で他の時期に発生した虐殺*2をあえてことあげしないということでもあります。

*1:本当は「中国側」とひとくくりにはできないわけですが、ここでは議論を単純化します。

*2:第十軍の法務官の日記には、杭州湾上陸直後から不必要な殺害が始まっていることに憲兵が懸念を持っていたことが記されています。捕虜や非戦闘員の殺害は突然南京で始まったのでもなく、南京攻略戦以降なくなったわけでもありません。