「米軍はなぜ「慰安婦」を無視したのか」

何度か吉田裕からの孫引きというかたちで言及した田中利幸の「米軍はなぜ「慰安婦」を無視したのか [上][下]」(『世界』、1996年10月号、11月号)。著者は『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』を書いた現代日本政治史家。
この論文は1)第二次世界大戦における米軍の「管理売春」の実態を明らかにすることによって、2)米軍の「管理売春」と日本軍の慰安婦制度との明確な相違を明らかにするとともに、3)国を越えて存在する軍の論理、すなわち「生命をかけて闘っている兵士には女性の慰安を享受する道徳的権利がある」という「軍イデオロギー」([上]、176ページ)に基づく性的搾取を問題化する、という構成になっている。2)を無視して3)で指摘されている「軍イデオロギー」を無批判に追認するのが慰安婦問題否認派の態度ということになる。だが、より悪質な日本軍の慰安婦制度を批判することなしに、米軍の管理売春を批判しえないことはいうまでもない。
2)についてであるが、著者が指摘する重要な相違とは次の通り。米軍の場合、出先の部隊レベルではともかく軍中央レベルでは管理売春は「黙認」ないし「容認」されていたに過ぎず、建て前としては米軍兵士が買春することは好ましくないという方針を貫いていたこと、また既存の売春施設を利用したのであって基本的には軍が主導して売春施設を設置したわけではないこと、さらに「管理」の目的が性病の予防というところに集中しており、「経理への介入や女性の物理的拘束といった強権的監督統制を伴っていたとは思われない」([下]、277-278ページ)こと、である。
念のために付言すれば、この論文は1996年の段階で公表されていた資料に基づくものである。
なお林博史による2002年の論文「アメリカ軍の性対策の歴史―1950年代まで」をオンラインで読むことができる


4月14日追記:慰安婦問題に関連して一部で田中氏がバッシングの対象になっているようだ。あんたらがRAAを持ち出すよりもずっと前に『世界』で米軍の管理売春制度について論文書いた人なんだけどな!
(追記、終り)


関連して、青狐さんのこのエントリへの私のコメントを転記しておく(まずはリンク先の青狐さんのエントリをお読みいただきたい)。

イメージ操作の典型ですね。「暴漢」は性別不明だけどたいていの人間は男性を連想するでしょう(「漢」だし)。なのになぜ「母親」? なぜ「父親」ではないのか? しかも「暴漢に襲われ傷を負」うに到った経緯が完全に省略されています。このたとえばなしをこう書き換えてみましょう。
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子どもと一緒にいた父親がいきなり通行人に殴りかかった。通行人も殴り返して激しい喧嘩になった。父親は子どもに「逃げるな、お前も父ちゃんに加勢しろ」と命じた。それで子どもが傷を負ったら…
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こどもが「父ちゃん、なんであんなバカなことをしたの?」と父親を責めるのは当然じゃないでしょうか?


日本政府(日本軍)が父親ではなく母親として例えられている点ですが、これは戦争にまつわる「女性」イメージの利用(搾取と言ってもよい)の事例として極めて興味深いと思います。戦場における性暴力の発生と決して無関係な問題ではないでしょう(この点、近日中に自ブログで補足します)。

このエントリは予告された「補足」の第一弾でもある。