「ホロコーストをどう読むか」

ホロコーストポストモダン』、『ポストモダニズムホロコーストの否定』などの邦訳書があるR・イーグルストンのインタビュー。

 (……)ホロコースト否定論者たちは、プロパガンダ的主張、ヘイトスピーチ的主張をしますが、歴史学のルールにはまったく従っていません。彼らは歴史を書いているつもりで、学術雑誌らしきものさえ刊行していますが、まったく歴史家ではありません。彼らの言語ゲームをメタヒストリーの次元で検証すれば、彼らが歴史歴探究だと理解できるものをやっていないことが分ります。
(10ページ)

あれあれ……? おかしいな? 「ホロコースト否定論者にも場を与えよ」とか「(きちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの? と言われても)そんな能力はありません」なんて書いてないぞ? どうなってるの、あずまん?
 ちょうどよい事例がコメント欄にありますのでこれを引き合いに出すことにしましょう。上毛三山さんがツイッターでやりとりした歴史修正主義者の主張です。

米軍の「日本人捕虜尋問報告 第49号」についても白石氏の論考を提示したところ「永井和グループの一見解」で、


>あなたが提示した資料も含め「日本人捕虜尋問報告 第49号」にはいろいろな見解がありますよ。例:慰安婦は従軍売春婦。慰安婦は客を断る権利があったなど


とのことです
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20140514/p1#c1400318903)

当ブログの読者の方であればよくご存知かと思いますが、ここでは引用箇所中の「慰安婦は従軍売春婦」に注目してみましょう。「米軍が慰安婦はただの売春婦だったと認めた!」などとしてアメリカ戦時情報局心理作戦班の「日本人捕虜尋問報告第49号」を利用する論法です。
この文書を歴史修正主義者がどのように読んでいるかを分析すれば、彼らが「歴史的文書を当時の歴史的文脈に位置づけて読む」という、ごくごく初歩的な「ルール」すら守っていないことがよく分ります。この文書が作成されたのは1944年10月のことです。ですから、われわれはこの文書が「1944年秋のアメリカ人によって聴取され、1944年秋のアメリカ人向けの報告書としてまとめられた」ものだということを念頭においておかねばなりません。とすると、この文書の歴史的文脈を構成する諸事情のうち重要なものは次のようになります。
・「慰安婦」という用語に当時のアメリカ人は馴染みがなかったこと
・日本軍「慰安所」制度の全貌について当時のアメリカ人は承知していなかったこと
・この報告書は「人道に対する罪」の追及を目的として作成されたものではないこと
これらを頭に入れたうえで、問題の箇所を読んでみましょう(強調は引用者)。

A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942.

強調箇所がすべてを物語っています。尋問を受けた業者や「慰安婦」たちは、「彼女たち/おまえたちは何者なのか?」という質問に対して当然「慰安婦だ」と答えたのでしょう。しかし「『慰安婦』という用語は日本軍特有のもの」です。"Comfort girl(s)" と直訳したところでレポートを受け取った側には事情がよく分りません。したがって、米軍と売春業者との関わりから外挿して―というのも、彼らは日本軍中央と「慰安所」制度の関わりを知らなかったので― "Comfort girl" という用語に注釈をつけておいた、ということにすぎません。
そもそも「ただの追軍売春婦」という表現自体、「慰安所」制度に対して日本軍の責任が問われるようになって初めて意味をもつようになったものです。1944年当時の米軍関係者がことさら「民間業者が勝手にやったことで、日本軍は関係ないですよ」などという認識を形成したと考える理由はありません(日本軍中央の関与を想像していなかった、ということなら十分ありそうですが)。
これでもなお、「いや、歴史修正主義者の読解も否定することはできない」と考えるのなら、それはポストモダニズムの問題ではありません。知的誠実さの問題です。