『戦場に舞ったビラ』

『銃後の社会史』を書いた一ノ瀬俊也の『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』(講談社選書メチエ)。アジア・太平洋戦争中に日本軍及び米軍が心理戦や投降呼びかけのために撒いたビラ(伝単)を、戦線別(ということは同時に時期別)に分類して分析したもの。
著者が個人的に収集したという伝単の写真も多数掲載され、この種の本はディテールこそが大切でもあるので興味のある方には手に取ってみることをお勧めする。ここでは4点のみ。
戦場や銃後で米軍のビラを拾って読んだ経験についての証言がいくつも紹介され、また戦後すぐに米軍が宣伝ビラの効果を調査した結果も紹介されている。ただ、いずれも問題になっているのはビラを読んだ時点での効果である。戦後に敗戦という事実を受容してゆくプロセスにおいて、ビラに書かれていた情報はなんらかの役割を果たしたのだろうか? という問いが思い浮かんだ。
米軍が撒いた空襲予告のビラ。このビラを契機に疎開して助かったと証言している人がいることも紹介されているが、基本的に「アリバイ作り」だという著者の分析については私もそうだと思う。ただ、ここで思い出されるのが、南京攻略戦にあたって中支那方面軍が送ったといういわゆる「降伏勧告」である。否定派は時折この降伏勧告に言及して、勧告を拒否した中国軍に責任を転嫁しようとする。だがこの勧告もまた飛行機からビラとして撒かれたのであった。これまで私が調べた限りでは、中国軍首脳がこのビラを入手していたことを示す史料はないし、また方面軍首脳が「中国軍首脳にきちんと伝わったかどうか」を確認しようとしたことを示す史料もない。確実を期すならば外交ルートで(それがいやなら例えばドイツ大使館経由で)伝えることも出来たはずなのに、飛行機から撒いたビラに翌日返答せよと要求するのもまた、「アリバイ作り」とみなされてもしかたないだろう。
著者の分析に違和感を感じるところもないではない。一例だけを挙げる。米軍によるある伝単の裏面に書かれた「戦争を止める様な新指導者を樹てて平和を恢復したらどうですか」という一文について、著者はこう書いている。

「〔この〕一文の妙な冷たさはどうだろう。決して意図されたわけではないだろうが、戦時中の庶民からはそのような力や意思が、結集して表面化したことはついになかったことを知る後世の者として、どうせお前たちにはできまいに、というある種の憫笑や、アリバイ作りの意図のようなものを感じてしまう。
(214ページ)

「意図されたわけではない」としながら「意図のようなものを感じてしまう」というのがまず「どっちなんだよ」という感じだが、そもそも「そのような力や意思が、結集して表面化したことはついになかった」ことがアメリカの責任であるはずもなく、穿ちすぎではないだろうか。というのも、パナイ号事件などを契機として日中戦争初期にアメリカで起こった日本製品ボイコット運動の際、呼びかけ文には「この運動は、憎悪からの運動ではない。日本国民が戦争を好まず、戦備に賛成したる先般の選挙候補者の全員に圧倒的反対投票をおこなったことは、明白である」と、37年4月の第20回総選挙で反政府派が勝利を収めたことに言及しつつ、日本国民の民意を評価する文言が書かれていたからだ。


最後に予告された「補足」にかかわる点。著者が収集した範囲での分析であるから暫定的なものということになろうが、著者は日本軍のビラにいわゆる「エロ伝単」が多いことを指摘し、ビラが体現する道義性の面で日本軍のそれが見劣りすると述べている。もっとも対比が明確となるのが219ページ以降で紹介されている伝単であろう。傷痍軍人を素材として厭戦気分を醸成しようと目論んだビラの場合、米軍は日露戦争を引き合いに出して傷痍軍人の生活苦に焦点を当てたのに対して、日本軍は「傷痍軍人は女にもてないぞ」というメッセージを伝えていた。戦争で多数の男が死亡することを題材とした伝単の場合、米軍は「日本が老人と女子供ばかりの国となってもよいか」というメッセージを送ったのに対し、日本軍は男が減ると女は選び放題になるから、投降して生き延びろ、というメッセージを送った。また米軍が「妻や娘、姉妹が身売りするような事態を避けるために投降して生き延びろ」というメッセージを送ったのに対して、日本軍はオーストラリア軍向けに「お前たちの女が米軍兵士にとられるぞ」というメッセージを送った。このような女性イメージの利用の仕方の背後にある女性観の違いが、おなじ管理売春ではあっても米軍のそれと日本軍のそれとの実態の違いに反映しているとは言えないだろうか。