『岡村寧次大将陣中感想録』をめぐって

青狐さんが「「岡村寧次大将陣中感想録」(厚生省引揚援護局)表紙」というエントリで、私がこちらで言及した、『岡村寧次大将陣中感想録』の表題問題。当初、「南京の真実 情報交換掲示板」のスレッドNo.31ではdeliciousicecoffee氏がネタ元を明らかにしていなかったため、当該スレッドでは私は「伝聞」であることを確認する質問にとどめておいた。その後、このはなしの出所がYahoo!掲示板の「南京大虐殺従軍慰安婦強制連行の嘘」スレ(「ニュース、時事問題 > 海外ニュース」カテゴリ)であることが判明し、現在ネタ元のnmwgip氏とやりとりをしているところ。「cheap_thirll」というのが私のハンドルなのだが、nmwgip氏の方もこのページで主張をまとめて発表しておられるので、こちらもここでまとめて反論しておくことにする。なおYahoo!掲示板での氏の現時点での最新の投稿はこちら


nmwgip氏の主張の論点は次の通り。

  1. 表題問題。『岡村寧次大将陣中感想録』ではなく『岡村寧次大将回想録』
  2. 「一切転載並公表を禁ず」とされた文書の公表・引用問題
  3. 読点の句点への改変の問題
  4. 引用に際しての省略の問題
  5. 『岡村寧次大将陣中感想録』の内容それ自体の問題


まず1.から。私自身は偕行文庫で原本を直接閲覧したわけではなくコピーをみせてもらったことがあるだけなので、資料の所蔵状況に関する調査はnmwgip氏の方がきちんと行なっておられるということになり、以下氏の記述を前提しての反論。そもそも原資料の表紙に記された表題、保管のための製本時につけられた表紙の表題、目録の表題が全部違っている(目録では『岡村寧次大将回顧録』となっている由)というのが奇怪と言えば奇怪な事態である。『現代歴史学南京事件』がこのややこしい事情を注記していればなるほど万全と言えただろうが、煩瑣なわりに資料評価に資するところがほとんどない情報をあえて書き添えなかったからといって非難されるには当たるまいし、原本作成時につけられた表題で呼ぶことに問題があるとは言えまい。戦後に「抜粋摘記」されたものとはいえ内容は「回想録」ではなく「陣中感想録」にほかならないのだから。


次に2.だが、作成時に「一切転載並公表を禁ず」とか「極秘」などとされていた文書が一定の時間が経ったのち公開されて、近現代史家に利用される…というのはごく普通のことである。だいたい、「一切転載並公表を禁ず」とある資料を偕行文庫に移管した厚生省なり公開した偕行文庫なりを批判するならともかく、公開されていたものを利用した歴史学者を非難するというのはお門違いもいいところ。Yahoo!掲示板では「岡村氏の没年は1966年。/編纂者が厚生省引揚掩護局であっても、著作者が岡村氏であることが明示されていますから、著作権は2016年まで継続します」などと主張されているが、著作権法第18条3は次のように規定している(「二」以降略)。

3 著作者は、次の各号に掲げる場合には、当該各号に掲げる行為について同意したものとみなす。
  一 その著作物でまだ公表されていないものを行政機関(行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成十一年法律第四十二号。以下「行政機関情報公開法」という。)第二条第一項に規定する行政機関をいう。以下同じ。)に提供した場合(行政機関情報公開法第九条第一項の規定による開示する旨の決定の時までに別段の意思表示をした場合を除く。) 情報公開法の規定により行政機関の長が当該著作物を公衆に提供し、又は提示すること。

この条文は平成11年に改正(追加されたもの)であるが、改正前の18条2は次のように規定している(「二」以降略)。

一 その著作物でまだ公表されていないものの著作権を譲渡した場合 当該著作物をその著作権の行使により公衆に提供し、又は提示すること。

というわけで、nmwgip氏は著作権が厚生省に譲渡されていないことを明らかにせねばならないわけだが、なにより著作権法が認める「引用」は著作権の保護期間内であろうがなかろうが正当な行為である。仮にこの資料の公開された手続きに瑕疵があったとしても、そのとがを負うべきは公開した者であって、公開を前提に引用した者ではない。


第3点。まず表記法が現在とは異なる時代の資料を引用するにあたって漢字、仮名遣い、句読点の用法を現代風に改めることはよくあることである。『岡村寧次大将陣中感想録』は句点を一切用いておらず、現在ならば句点を用いるであろうところで読点を用いており、『現代歴史学南京事件』がおこなったのもまさにこの「現在ならば句点を用いるであろうところ」の読点を句点に改めた、というものである。
さらに、nmwgip氏が好意的に言及しているもう一人の人物も同様な句読点の改変を行なっているのに、nmwgip氏は『現代歴史学南京事件』にだけケチをつけるというダブスタをおかしている。『岡村寧次大将資料(上)』には『岡村寧次大将陣中感想録』のごく一部が収録されているのだが、両者を比較してみると次のようになる。

(…)此間統御の骨に就て多少会得したる所ありと信す、部下が酔余の直言、(…)
(『岡村寧次大将陣中感想録』)


(…)此間統御の骨に就て多少会得したる所ありと信ず。部下が酔余の直言、(…)
(『岡村寧次大将資料(上)』)

この場合句読点のみならず仮名遣いも変えられているのに、その旨明記されてはいない。この種の、極めて常識的な表記変更をいちいち断らなかったからといって誹謗される謂れはないだろう。なお、『岡村寧次大将資料(上)』の編者稲葉正夫氏も「陣中感想録」とこの資料を呼んでおり、「回想録」とは呼んでいないことを付言しておく。


4.について。問題の箇所を比較してみよう。

中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数ありしことは事実なるか如し、最近湖口附近に於て捕獲せる中国将校は我等は日軍に捕へらるれは殺され、後方に退却すれは督戦者に殺さるるに由り唯頑強に抵抗するあるのみと言えりと云ふ
上海には相当多数の俘虜ありて苦役に就かしめあり、待遇必すしも適良と云ひ難し
(『岡村寧次大将陣中感想録』)


中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数ありしことは事実なるか如し。
(『現代歴史学南京事件』)

「事実なるか如し」までの部分は宮崎参謀以下を情報源とした記述であり、「最近湖口附近」以降は「中国将校」を情報源とした記述である。「如し」が終止形となっていることとあわせれば、ここの読点を句点にすることで文意が変わることはない。『現代歴史学南京事件』においてなぜ「最近湖口附近」以降が省略されているかと言えば、『岡村寧次大将資料(上)』には「最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕えられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという」という、ほぼ同じ記述がすでにあったからである。新情報を含む部分だけを引用し、新情報が含まれない部分を省略することは正当な引用である。だいたい、「最近湖口附近」以降もあわせて引用すれば、常識を備えた読者にとっては「日本側の証言と中国側の証言とが一致している」という印象を与えるだけであって、省略によって否定派の主張にとって不利に見えるなどということはないのである。


最後に5.について。この点に関するnmwgip氏の主張は強引としか言いようがないものである。

 『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想編』を読んだときも違和感を覚えましたが、『岡村寧次大将回想録』ではその違和感をより強く覚えます。
 捕虜の多くを殺してしまうと言いながら、その根拠として引用されているのは実際に捕虜として保護されている中国軍の将校の証言です。そして上海には、待遇が適切とは言い難いけれども、多数の捕虜が使役されている現実がある、それが『岡村寧次大将回想録』に書かれていることです。
 一体どういう意図でこの部分が切り捨てられているのか、その詮索は横に置いておきましょう。杜撰な引用をした著者の意図など、本来どうでもいいことですから。
 普通に判断すれば、これは「日本軍に捕まれば殺されるという噂が流れているが、実際には日本軍は中国兵を捕虜として収容している」という結論になるべき事実です。それが何故かこの後にも「俘虜を殺す悪弊あり」と何度も出てきます。

こんなことで「違和感」を感じるのは、氏がアタマから虐殺の存在を否定するつもりで資料を読んでいるからである。素直に読めば当該箇所は日本軍による中国人捕虜の処遇が不適切だったことを記しているのであり、その不適切さの現われとして捕虜の多くを殺してしまうこと、ついで殺さなかった捕虜についても「苦役」に就かされていること、を挙げているのである。捕虜の多くを殺害する「悪弊」があるとは書いてあっても皆殺しにしたとは書いていないのだから、捕虜の将校から証言を得ていることになんら不思議はなく、捕虜の数が多ければその「多く」を殺害した後にもなお「相当多数」の捕虜が残って「苦役」に就かされた、ということになんの矛盾もない。


また『岡村寧次大将資料(上)』に収められた戦後の日記部分と回想部分とが矛盾する、というのも根拠のない主張。日記部分はなによりも谷元第6師団長の弁護のために書かれている、ということを念頭において読めば、両者は決して矛盾しない。47年3月10日の日記においても第6師団(および師団長)にまったく罪はないとは書かれておらず、第16師団と比べて「ほとんど罪のない」と書かれているだけである。さらに、岡村大将の認識としては第6師団*1の「前科」が主として「掠奪・強姦」であったろうというnmwgip氏の推論が正しいとすれば(私も、岡村大将の認識としてはそうだった可能性が高いと考える)、戦犯裁判においては第6師団に「ほとんど罪がない」としつつ、軍紀風紀の問題としては第6師団を「前科」持ちとして扱うのは、決して無理のあるはなしではない。

*1:nmwgip氏は「南京攻撃戦で前科のある師団」という表現を用いているが、これが第6師団を指しており中支那方面軍隷下の師団一般を指すわけではないことは、原文を読めば明らか。