ちなみに…

http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20080104/1199427429
http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20080106/1199588560

私みたいな陸軍バカは、岡村や阿南や松井があったて言ってんだからあったんだろうで終わりなんだけど。

岡村寧次*1や阿南惟幾*2という名前の権威が通じないとは、何というフリーダム。

それぞれどれくらい「偉い」ひとかというと岡村寧次は敗戦時支那派遣軍総司令官。阿南惟幾は敗戦時陸軍大臣(厳密には14日〜15日にかけて自決)。松井石根はもちろん南京を攻略した中支那方面軍司令官。ちなみに、彼らの経歴と年表とを照らし合わせるとわかることだが、岡村の陸士16期というのは日露戦争に従軍した最後の世代ということになる。つまり彼より期の若い高級将校は「日露戦争を知らない」世代ということになります。このあたり、ここでeichelberger199さんが引用されている岡村の回想の一つの背景です。
彼らがそれぞれ南京事件についてなんと言っているか。表記は適宜現代風に改めた。
岡村(『岡村寧次大将資料 (上)』、原書房

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。


一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。
一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。
一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。
 

 七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。

岡村(「岡村寧次大将陣中感想録」、靖国偕行文庫所蔵)

中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れば従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり。南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数ありしことは事実なるが如し。最近湖口附近に於て捕獲せる中国将校は我等は日軍に捕へらるれは殺され、後方に退却すれは督戦者に殺さるるに由り唯頑強に抵抗するあるのみと言えりと云う。


阿南(『支那事変記録 其の四』、防衛研究所戦史部所蔵)

軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、掠奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しつつあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なおたえず。


松井(花山信勝、『平和の発見』、朝日新聞社

南京事件ではお恥しい限りです。
 南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。
 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。
 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。
 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。

松井(三八年二月六日の日記、『南京事件資料集II』、偕行社)

朝八時出発汽車にて南京行
沿道の状況凡て著く鎮静に動き各地避難民も漸く帰来し、各地自治組織の成立しつつあるは可欣も、未だ一般の状勢中々容易ならず。支那人民の我軍に対する恐怖心去らず寒気と家なき為め帰来の遅るる事固とより其主因となるも我軍に対する反抗と云うよりも恐怖不安の念の去らるる事其重要なる原因なるべしと察せらる。即各地守備隊に付其心持を聞くに到底予の精神は軍隊に徹底しあらざるは勿論本事件に付根本の理解と覚悟なきに因るもの多く一面軍紀風紀の弛緩が完全に恢復せず各幹部亦兎角に情実に流れ又は姑息に陥り軍自らをして地方宣撫に当らしむることの寧ろ有害無益なるを感し浩歎の至なり。

なお、太字部分は当初田中正明によって改竄されて発表された、というより削除されて発表されなかった部分である。否定派というのはこういう手を使ったんですよ。


松井(「支那事変日誌抜粋」、『南京事件資料集II』、偕行社)

 上海附近作戦の経過に鑑み南京攻略戦開始に当り、我軍の軍紀風紀を厳粛ならしめん為め各部隊に対し再三留意を促せしこと前記の如し。図らざりき、我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならざるに至れるや。


なお、ここで引用した証言のうち阿南惟幾のものをのぞいてすべて
http://www.geocities.jp/yu77799
で読むことができ、阿南証言については最近
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/
で繰り返し引用されています。