「上限」の問題

D_Amonさんが注でさらっと触れておられるので少し補足しつつより目立つようにエントリにしておきます。

1:その上、敗戦時の資料焼却が「これだけのことしかしていない」を日本側資料で蓋然性の高い主張にすることを不可能にしています。

昨日も(そしてそれまでも繰り返し)述べてきたように、南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報のうち、今日現存していて研究者に資料として用いられているものよりも失われていない現存しない、見つかっていないものの方が多いわけです。ところで、戦闘詳報には捕虜の殺害、敗残兵の殺害が「戦果」として記載されています。敗残兵はともかく捕虜の殺害が戦闘詳報に書いてあること自体重大な意味をもつわけですがそれはおくとして、戦果として書いている以上過大に書くことはあっても過少に書くことは(なにか特別な理由でもない限り)ない。ということは、仮にすべての戦闘詳報が残っていれば、少なくとも捕虜、敗残兵の殺害に関する限り「上限が○○人くらい、それ以上ということはまずない」と相当の説得力をもって主張することができるわけです。
憲兵隊や法務部の資料にしても、第十軍法務部の陣中日誌と法務部長の日記があるくらいで、上海派遣軍の分は残っていない。その日記には「強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針をとり成べく処分は消極的なりしも斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思う」とか「その実際の数を挙ぐれば莫大ならん」と書いてあるので、大規模に発生したことはわかっても、やはり「上限」を推定する資料にはならない。
つまり、被害(加害)規模がはっきりせず「30万人はない」と断言できない要因には自業自得的な側面もあるということです。ちなみに、BC級戦犯裁判においても降伏時の文書焼却のため弁護に支障を来したケースがあるとのことです。