一知半解氏を分析する

まあ「信仰ゆえに」ですませてもいいのですが。
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ここ↑における氏の議論は、南京事件否定論を観察してきた人間にとってはおなじみのものです。「戦意高揚記事」、すなわちプロパガンダだからそこに書いてあることは事実無根の虚偽に違いない、という決めつけです。南京事件当時の海外での報道や安全区委員会の報告などをこの手法で否認してきたことは、ご存知の方も多いでしょう。
しかしながら、「プロパガンダ=事実無根」という決めつけほどばからしいものはありません。もちろん、使える材料が手元にない場合には、プロパガンダのために完全なでっちあげが行なわれることもあります。しかし当時の日本軍は中国軍を圧倒して進撃を続けていたのです。そして、これは一知半解氏が完全に無視していることですが、南京を攻略した日本軍が多数の(第16師団だけでも万の単位で)捕虜を殺害したことに疑問の余地はありません*1。なぜなら軍の戦闘詳報に戦果として記載されているからです。この「戦果として」というところが重要です。軍の公文書で捕虜の殺害を戦果として扱うなら、将兵がそれを新聞記者に戦果として喋ることはむしろ当然であると言わねばなりません。話を聞きたがっている新聞記者がいて、話すべき話題をもった将兵がいる。そのような場合に、わざわざ戦地に出かけた記者がゼロから話をひねり出した……などという想定こそ荒唐無稽と言うべきです。
要するに氏は「百人斬り」を南京事件という大きな文脈のなかに位置づけて考えることを拒否しているのです。そのうえで「まったくの真実か、まったくの虚報」という偽りの二者択一を勝手に採用し、「実話を潤色・誇張した」という(常識的に考えれば最も蓋然性の高い)解釈から目を背けているわけです。

*1:そして言うまでもないことですが、殺された人間がいたなら殺した人間も必ずいるのです。それが誰であるかは別として。