念為

「事実であろうと、なかろうと」という二つ名がなんのことかわからん、という方もおられると思いますので、その経緯をば。

本題に入る前に、「一知半解」氏が初めて当ブログにコメントした際の論点、山本七平の「警句」なるものについて再確認しておきましょう。
「一知半解」氏は従軍「慰安婦」問題に関連して、『日本人とユダヤ人』から次の文章を引用し、この「警告」に耳を傾けよと主張していました。

朝鮮戦争は、日本の資本家が(儲けるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。

氏はページ数を明記していませんが、私がもっている角川文庫版では194-5頁にあるこの文章には、次のような続きがあります。

これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。

「事実であろうと、なかろうと」ですよ。これこそ「安易に聞き流してはいけない」言葉です。
ところで、私は「一知半解」氏に「朝鮮戦争は、日本の資本家が(儲けるため)たくらんだものである」と主張した「進歩的日本人」って誰なのですか? と問いました。もちろん、朝鮮戦争に関するかつての左派の主張には、いまとなれば間違いであったことが明らかなものがありました。“資本家の陰謀”もよく語られたストーリーではあります。それにしたって1950年に起きた戦争を「日本の資本家が(儲けるため)たくらんだ」とするのは並大抵のことではありません。なにしろ講和条約を締結して主権を回復する以前のはなしですから。しかし氏はこの問いに答えられなかったにもかかわらず、山本七平の「警告」は有効だと主張しつづけたわけです。その彼がいま、「「百人斬り」の両少尉が据物斬りで多数の中国人を殺害したという根拠は何なのか? を問おうとしているわけです。「その言葉が事実であろうと、なかろうと」という山本七平の言葉をなんとも思わない彼が、です。
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081228/p1)

参考:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071208/p1#c http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080105/p5
「その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう」についてはまだ因縁があります。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060312/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060320/p1
要するに「事実であろうと、なかろうと」という語句を含む山本七平の議論は、植民地支配の歴史を考えずにすまそうとするための詭弁として、これ以上ないというほどに卑劣なものだと私は思っているわけです。それをあたかも「ユダヤ人」が言ったと見せかけた、という点まで含めてです。