「「南京」検定も国主導」? 沖縄タイムスの報道より
こちらのエントリのコメント欄でfelis_azuriさんからご教示いただいた情報です。
沖縄タイムス 2007年9月18日(火) 朝刊 1・25面 「南京」検定も国主導/職員、反証文献出版にお礼
「官僚中心」以前から/関係者が証言
旧日本軍の文書などを基に、日中戦争当時の南京での日本軍の行動を示す史料を集めた「南京戦史」(偕行社、一九八九年)が発刊された際、文部省(当時)の教科書課職員が「これで(南京大虐殺の被害者が)二十万人、三十万人と書いてくる教科書に指導ができる」と、編集者らにお礼に訪れていたことを、十七日までに関係者が証言した。教科書検定は、教科書課職員が最初から記述修正の方向性を決め、検定意見作成にかかわるなど、以前から官僚主導で行われていた実態が浮かび上がった。(教科書検定問題取材班)
証言したのは「南京戦史」の編集にもかかわった研究者。南京戦史が発刊されて間もなく、同省の教科書課職員が偕行社を訪れ、編集にかかわった人々に「ありがとうございます」とお礼を述べたという。
「南京戦史」は発刊の目的の一つに、「学校の教科書に記載されている『南京事件』の誤った記述を是正する根拠を提供すること」を挙げる。防衛庁(当時)などに残っていた戦史記録や、元日本兵の証言などを基に、中国兵捕虜のうち殺害された人を三万人前後、一般市民で殺害された人を一万五千七百六十人以下などとし、「(虐殺被害者が)二十万、三十万という数字がまったく真実性に欠けていることを証明」と記す。
お礼に訪れた文部省職員は「これで、被害者数を二十万人、三十万人と書いてくる教科書に対し、『反証になる文献もあるので、これを併記するように』と指導できる」と話したという。
当時の教科書検定の状況を知る同省元職員は「教科書課長など、行政管理職がお礼に行くことはありえない。教科書調査官が行ったのではないか」と話した。
(後略)
『南京戦史』が刊行された直後というと89年とか90年ころですかね。まだ『南京戦史資料集II』が刊行されていない段階でしょうね。この報道が正しければ、文部省は「南京事件の犠牲者数を少なく見積もりたい」という動機をもって検定にあたっていたということになります。まあ、私も人間がそういう動機を抱くこと自体を非難しようとは思いません。その動機を意識して、事実認定にあたりアンフェアなことをしないよう留意するのであれば、ですが。しかし同じエントリのコメント欄でtarari1036さんも指摘されていることですが、例えば「犠牲者4万人」説がそれなりの説得力をもって主張されたとしても、それによって20万人説なり30万人説が「反証」されたとは到底言えないわけです。なにより、偕行社は戦闘詳報一つとってもすべてを収集することができなかったわけです。未発見の(あるいはもはや失われてしまって利用できない)文書が存在している以上、発見された資料をもとに「最低でもこれくらいの犠牲者はいたはず」と主張することは可能ですが、「最大でもこれくらいの犠牲者だったはず」と主張することは困難です。まして、非戦闘員の犠牲については38年に行なわれたスマイス調査にほとんど丸投げしているわけで。せめて戦闘詳報だけでもすべてが残されていれば、捕虜や敗残兵、「便衣兵」とみなした市民の殺害についてはかなりの蓋然性で「最大でもこれくらいの犠牲者だったはず」と主張できたはずなのですが*1、戦犯追及逃れのための証拠隠滅がかえって徒になっているかもしれないわけです。
*1:これらは当時の日本軍が一種の戦果とみなしていたケースなので、ことさら過少に記録する理由に乏しいから。ただし、命令によらない散発的な捕虜殺害などについては戦闘詳報に記録されていない可能性はあるでしょうが。