求む「為にする議論が目的の人につける薬」

昨日の続きです。
こういうサイトを運営しているといろいろと「質問」をコメントされる方がおられるわけですが、そういう人が「新たに興味をもったばかりで、手がかりをもとめてたまたまここにたどり着いた」のか、それともあわよくば揚げ足でもとってやろうと目論んでやってきたのか、というのはだいたいわかるもんです。たまに微妙で「どっちなんだろ?」と首を傾げるケースがないではありませんが、まあ多くの場合誠実さないし不誠実さは書きっぷりに現われるものです。
で、後者であると判断できるような人が「犠牲者は何人くらいだと思いますか?」とか「あなたの考える南京事件とはどのようなものですか」などと質問してきてもまともに答える気になれないのはなぜか。これでも否定論の論法は一通り知っているつもりですから、揚げ足をとられることを真剣に気にしているわけではありません。その後の展開が目に見えているからバカらしくてやる気になれないだけです。犠牲者数推定についての私の見解を答えたとしましょう。するとかえって来る反応はまあ「では中国の30万人説は否定するんですね?」とか「じゃあその人数の根拠を教えて下さい」とかいったものです。前者は「30万人説を論破すれば勝ったと思う」人ですね。後者の場合、戦闘詳報や陣中日記の関連する記述だとか埋葬記録などをリストアップしてゆくことはできます。資料の電子化にとりくんだ方々のおかげでコピペして編集だけすればよい部分も多いですし。でもまあ、そんなことはやっても無駄なんですよ、後者のタイプの人々には。「南京事件は当時報道されなかった」と言うので「いや、報道された」と指摘したら「俺はその報道は信用していない」と開き直ってみたり、偕行社(旧陸軍将校の親睦団体)が編纂した資料集が信用できるとする根拠を挙げろと要求したり、兵士が日記なんて書くはずがない(だから日記なるものは信用できない)などと言い出す人にはなにを言っても無駄であるわけです。南京事件を構成する個々の殺害事例について資料的根拠が知りたいと本心から思うような人が「新書一冊読む」手間を厭うでしょうか? 「南京大虐殺」ないし「南京事件」でググるとトップ10だけに限っても、ネットの「虐殺はあった」派がしばしば言及する以下のサイトがヒットします。

これらはネットを通じて南京事件について調べようとした人なら、およそ見逃しようのないものです。情報はすでに、みんなの目の前にあるのですよ。歴史的出来事のうち南京事件以上に、一般市民のつくった資料集やFAQ、論考集が充実しているものがあるでしょうか? 南京事件について特異なのは「情報の乏しさ」ではなく、「疑いたがる人の多さ」なのです。
反対に、細かいことはいいから概略を教えろという人もいます。しかし UmeGakeさんが的確に指摘されていることですが、例えば歴史学事典の類いの「南京大虐殺」や「南京事件」についての記述のコピーを読んで「なるほど、そうだったのか!」と納得する人というのは、一体どういう人なんでしょうか? 日本政府も歴史教科書もマスメディア(「特定メディア」を除く)も南京事件の実在を前提としているのです。事典類の簡潔な記述で納得するような人ならはじめから「本当にあったんだろうか?」なんて思いませんって。


じゃあお前はなんでこんなブログやってるのか? と言われそうですが、以前にも書いたように問題は「よく知らない人」がいることではなく「否定派の主張の断片だけは知っちゃってる人」がいる、ということです。後発組である私の問題意識はここにあります。