追記

上で紹介した佐藤氏のエントリのコメント欄にはこんな発言が。

パックス 『
【ストーリーが違うということ】
中村先生の話は尤もですが… 
http://www.youtube.com/watch?v=-sTFQtl29eE&mode=related&search=

ストーリーの違う話による『南京事件』のスリカエになりかねません。
つまり、「敗残兵の処断」があったから「南京事件」があった、という事にはならないと。
南京事件とは、東京裁判により定義される「無差別大量殺戮」です)
(…)
.』 (2007/04/16 23:58)

東京裁判により定義される「無差別大量殺戮」! いちのへ氏の「日本軍による組織的/命令により民間人の大量殺人」という定義とは随分違うようだが、問題は東京裁判の認定がパックス氏の「定義」ともいちのへ氏の「定義」ともまったく異なっていること。東京裁判の判決で「無差別」という語が用いられているのは、「これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の二、三日の間に、少くとも一万二千人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した」という部分である。30万人でもなければ20万人でもない。判決はこれ以外に強姦、掠奪、放火、農村部での殺人その他、捕虜の殺害を犯罪事実として指摘している。したがって、「中村先生の話」はスリカエでもなんでもなく、東京裁判が認めた南京での戦争犯罪の少なくとも一部は実際に起こったという「状況証拠」なのである。
このコメントを受けて佐藤氏は「映画『南京』補遺」というエントリを書き、こう述べている。

コメントにもあったが、中村武彦氏の著書にあった「鹿子木氏の見解・・・あの程度のこと・・・」は捕虜の処断であって、一般人を含めた計画的な「大虐殺」のことではないことは明らかである。しかし、日本の歴史学者などの中には、これらも同一視している者がいることが問題なのである。

「同一視」なんてしてません、って。別の犯罪類型として区別していますよ。

プロパガンダの大虐殺』と、治安維持のために、軍服を脱ぎ捨てて安全地帯に隠れて“悪さ”をする支那兵達の処断は当然区別すべきものであろう。

もちろん「区別」してます。「区別」したら敗残兵の処刑が「合法」になるわけじゃない、というだけのはなしです。ここでも例によって、“悪さ”をしたら処刑は当然と言いつつ、その“悪さ”の実態(というより実態の不在)には口をつぐむ論法が使われている。

 たまたま、週刊新潮(4月19日号)の桜井よしこ女史の連載コラム『日本ルネッサンス』に、4月2日に立命館大学教授の北村稔氏が東京有楽町の外国特派員協会で講演したことが書かれている。北村教授のテーマは『南京大虐殺』で、桜井女史は詳しい内容を書いているが、北村教授は著書である「南京事件の探求・その実像を求めて」(文春新書)を元に、「南京大虐殺」は存在しなかったと主張したという。内容は読んでいただくとして、桜井女史は「事実と誠実に向き合え」と強調しているが全く同感である。今からでも決して遅くはない。

佐藤守氏は『「南京事件」の探求』をお読みになったのだろうか? 北村氏は「便衣兵の掃討」に名を借りた敗残兵殺害に関する、「マボロシ派」の国際法解釈には無理がある、と明言していたのだが…。
その後はお決まりのパターン。チベットにおける中国軍の残虐行為を非難して「こんなおぞましいまでの殺戮行為は、日本人にはなじまない」と本質主義に訴える、という根拠レスな(チベットにおける残虐行為が根拠レスだ、といってるのではない、念のため)論法。