産経新聞今昔物語

南京事件否定論者が最後に逃げ込むのが「しかしとにかく30万じゃない」という主張です。ではこの点について、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されるなど歴史修正主義運動が盛んになる1990年代後半より前の『産経新聞』にはどのような記事が掲載されていたのでしょうか。
1994年に『産経新聞』は「【南京事件の真実】検証断罪史観」という連載を行っています(まだ「自虐史観」じゃなかったわけですね)。連載の第18回から22回までが、当時千葉大学の教授だった秦郁彦氏のインタビュー記事です。

 ――「南京事件」における不法殺害の数については、東京裁判の論告でも十万とか二十万とかに分かれていて、詰めきれていないというお話でしたが。


 秦 ええ。それで日本側にそれに対抗できるような公的な数字があるかどうかなんですが、松井(石根)中支那方面軍司令官が兵の暴行、不軍紀行為を怒って注意を与えたと法廷で証言していましたので、それなら当然、憲兵隊や陸軍省が全面的な調査をやったろうと私は期待していました。ところが、どうも調査をやった形跡がない。部分的なものがあったとしても、この四十年ばかりずいぶん探しましたけど、見つからないんですね。


 ――今後もそういうものが見つかる可能性は少ないと。


 秦 残念ながらまずそういうものが出てくる可能性はないでしょう。中国側では中国大陸におけるいろんな残虐事件のいわばシンボルとして南京大虐殺記念館に三十万という数字をかかげているわけですが、それに対抗できる日本側の数字はないということですね。したがってただ三十万は多過ぎる、という言い方だけでは、どうも(反論材料としては)弱いんじゃないかというのが私の率直な感じです。中国側としては象徴的な数字ですから、日本側から、この数字はウソだといわれると、メンツ上、ウソの証拠をだせとなる。しかし、日本側としては対抗できる証拠がない、これが現状かと思うんですね。


 ――秦先生自身は、不法殺害の数をどうとらえていられるのですか。


 秦 私は積み上げ方式、つまり日本側の戦闘詳報その他から積み上げていって不法殺害は約四万という数字を出しています。しかし、この数字も中国側の数字に対抗できるとは思っていません。私としても約四万というのは、とりあえずの数字だと著書の『南京事件・「虐殺」の構造』(中公新書)の中で断っているわけですけど、そうした状況はいまも変わっていないんじゃないでしょうか。
(94年7月2日、東京本社版朝刊、【南京事件の真実】検証断罪史観(19)秦郁彦千葉大教授(2)、強調は引用者)

中公新書の『南京事件』のあとがきとほぼ同じ論旨ですが、強調箇所などはなかなか興味深いですね。
なお、「三十万」というのは単なる「象徴」ではないし中国にとっての「メンツ」だけの問題でもない、と私は考えています。度々当ブログで指摘しているように日本はサンフランシスコ講和条約により戦犯裁判を「受諾」しています。日本政府が「受諾」したもののなかには東京裁判の「二十万」や南京裁判の「三十四万」という犠牲者数認定も含まれているわけです。中国は(国民党政府も共産党政府も)サンフランシスコ講和条約には参加していませんが、日本が国際社会に復帰するにあたって行った約束を守るよう求めることにはそれなりの理があると考えるべきでしょう。


なおこの連載を読んでいると、聞き手である産経新聞記者の側の意識も現在とはかなり違っているように感じられます。

 ――便衣兵狩りもあったようですが。


 秦 便衣というのは庶民が着ている作業服ですが、フランスのレジスタンスのように一般市民がドイツ兵にゲリラ的抵抗をしたケースとは少し違います。南京の場合は、逃げ場を失った兵士が便衣に着替えて難民区に逃げ込んだ例が多かった。入城式をひかえて彼らがゲリラ化するのを恐れた松井軍は、難民区に入って便利兵狩りをやります。しかし、良民との区別がつかないので、一緒に処刑してしまったのです。


 ――不法殺害に相当するわけですね。
(94年7月4日、東京本社版朝刊、【南京事件の真実】検証断罪史観(21)秦郁彦千葉大教授(4)、強調は引用者)

いまの『産経新聞』なら「それは国際法で許されているのではないですか」とでも質問するところでしょう。