補足

一つ前のエントリへの補足。なぜ“板倉由明が「適性派(ママ)」じゃまずい”と考えるのかを説明しておかないと、ということで。詳細については
http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html
もご参照ください。


まず第一に、板倉氏は偕行社『南京戦史』の編集委員の一人であって、準利害関係者である。これだけならアド・ホミネムな判断と言われようが、『偕行』はもともと「南京での大虐殺なんてなかった」ことを“証明”すべく戦史編纂を始めたのである。結果として、意に反して集まった虐殺の証言を握りつぶさず公表した点は率直に評価したいと思うが、あからさまに「数を小さくしたい」動機を持つ戦史の編纂にかかわった論者の主張を評価するにはそれ相応の注意が必要なはずである。


次に、同じく「適正」派とされている秦郁彦の主張との比較。板倉、秦両氏は依拠している史料の多くが共通しているので、なにゆえ二人の犠牲者推定に大きな違いが生じているのかをみれば、両者の方法論・よって立つ立場の違いがわかる。まず捕虜の殺害については、約3万とされる数字に対して板倉氏が「原則として不法だが、状況を勘案すると例外が当然ある。それを考慮して不法を一万六千の二分の一から三分の二と」しているのに対し、秦氏は約3万の数字をそのまま採用していること、すなわち「例外」による割引を認めていないところが異なる。次に民間人の被害については両者とも下方に補正をかけたスマイス調査をベースにしているのだが、板倉氏が南京城区の属する江寧県だけに限定しているのに対して、秦氏は江寧県以外の数字もそのままカウントしているところが異なる。
捕虜殺害については幕府山での大量殺害事例のように「捕虜の反乱があった」として殺害を正当化する議論があるわけだが、上海戦・南京戦全体を通じての日本軍の行動を見ればたとえ反乱などなくても殺害していた可能性は極めて高く、そもそも正当防衛を主張できるほどの反乱があったのかも疑わしい。「例外」による割引を認めない秦氏の方が妥当だと考える理由である。
スマイスが周辺6県も調査対象とした(調査できなかった地域もあったが)ことは、早い段階から周辺6県での出来事も含めて「南京における日本軍の暴虐」とする認識があったことを示している。このスマイス調査の地理的範囲をそのまま採用している以上、秦氏南京事件の空間的範囲として南京特別市を採用していると考えることができる(『南京事件』ではそう明言してはいないが)。すると、南京事件の「定義」のうち空間的範囲に関しては秦氏は「過大派」と分類された笠原十九司氏らと(ほぼ)一致しており、また犯罪類型のうち「捕虜の殺害」の扱い方も(原則としてすべて違法と考える点で)「過大派」と一致しているのである。方法論の面では「笠原・藤原/秦・板倉」という分類よりも「笠原・藤原・秦/板倉」と分類した方が実態に即していると私は考える。