ひっそりと「公開質問状」を出す人

南京の真実 情報交換掲示板」の過去ログの一部が消失した件はご存知の方も少なくないと思います。佐藤生と名乗る方が消失した投稿を再投稿したので返答せよと要求されるので、「どこにされたんですか?」と質問したんですが(スレッド139。再投稿したって言われてもどこにしたのかわかりませんからね。)返事がないので、データ消失当時のスレッドを見てみたところ、なんと「136 【お詫び】掲示板データの破損について」と「137 製作委員会へ、厳重抗議します」というスレッドに大量の投稿をされてました。しかも後者には私への「公開質問状」が(笑) そりゃまあ「公開」されてるには違いありませんが、普通こういうのは確実に相手の目にとまるよう気を配るものじゃないでしょうか? ここのコメント欄で告知するとか。ひょっとすると私が気づかないままでいることを期待したのかもしれません。


さて、スレッド136において佐藤生さんは『現代歴史学南京事件』(笠原十九司・吉田裕編、柏書房)をとりあげて、毎度おなじみの否定派流国際法解釈を開陳しています。読者に不親切なのは相変わらずで、例えば秦郁彦氏の論文を引用する際に出典を論文名+「文芸春秋,P251」とのみ記し、何年何月号なのかは自分で調べよと言わんばかりですね。ここでは、とりあえず佐藤氏の法解釈に反駁しておきましょう。同じ話の繰り返しばかりでまったく生産的ではないのですが、無理に無理を重ねているので全部とりあげるまでもなく、いくつかのポイントを突けば崩壊しますし。以下、引用は全てスレッド136からのもので、最後にコメント番号を付します。

5.条約とか憲法の前文における、この様な当たり障りのない条文というのは、いわば『常套句
 /枕詞』の様なものでしょう。この『常套句/枕詞』が、『便衣兵を処断する場合には軍律
 裁判が必要』という論拠というのでは、甚だ説得力に欠けます。
[8]

すごいですね。「枕詞」だそうです。「特ニ右ノ趣旨ヲ以ッテ之ヲ解スベキモノナルコトヲ宣言ス」と、条文がどのような趣旨で解されるべきかを明示した前文を「枕詞」扱いすれば、なるほどどんな得手勝手な法解釈でも可能というわけです。
そもそも否定派が陥っている根本的な勘違いとはなにか。「法的根拠が必要なのは人を殺す時であって、殺さない時ではない」という当たり前の常識を失念していることです。ですから、「便衣兵は軍律裁判なしで殺害してよい」と主張する側こそがその根拠を示す必要があり法的根拠のない殺害であればそれは不法な殺害でしかありません。さらに南京での殺害を正当化するには実態として便衣兵による攻撃があったこと、殺害されたのが全てとは言わないまでも大部分そうした便衣兵であったことを示す必要がありますが、言うまでもなくそれに成功した否定派はただの一人も存在しません。佐藤氏の論法は次のようなものです。

a.この「便衣兵」に関連して、私見を述べさせて頂きます。
   南京攻略戦の問題とされる期間、城内では略奪/放火/強姦などは依然として起こっていた
   が、これらの犯行が全て日本軍によるとは断定できない。 もう少し大胆に言うと、これら
   犯行の多くは城内に潜んでいた「便衣兵」によるものであり、従って「掃討戦」は必要であ
   ったと推測しています。 略奪/放火/強姦などの犯罪行為が、全て日本軍によるものであ
   る事を論証できないのであれば、「掃討戦」を継続する必要があったことになります。

 b.秦郁彦教授は、どこかの論文で、次の様な趣旨の発言をなさったと記憶しています。
   『治安は回復したから、12月17日に入城式を行ったと認識すべきで、その後には掃討戦
   は必要なかったと認識すべきある』 
   しかし、略奪/放火/強姦などは引き続き起こっていた。これらが、全て日本軍によるもの
   である事を論証できないのであれば、「掃討戦」を継続する必要があった事になります。
[14]

なんと「略奪/放火/強姦」を「便衣兵」による攻撃だとみなすんだそうです。「もう少し大胆に言うと」というフレーズが「根拠はないのですが」の言い換えにすぎないことをさしおいても、中国人や中国人の財物に対する「略奪/放火/強姦」なら単なる犯罪です。日本軍の部隊が司令部をおいた建物を狙って放火した、といった事例の存在をきちんと立証できるならはなしは別ですが、佐藤氏はそうした努力すら行なってません。
(追記:それからより根本的な問題として、「安全区他にいる中国軍の敗残兵を捜し出そうとしたのはけしからん」と主張している人間なんていないんですね。問題にされているのは「こいつは兵士だ」と認定する手続き(ないし手続きの欠如)と、狩り出したあとの殺害(法的手続き抜きでの)であるわけです。だから「掃討戦は必要だった」と言ったところでほとんど意味はありません。)


あとは佐藤氏のインチキ論法がよくあらわれている箇所として、「交戦者資格」に関わる部分をとりあげれば十分でしょう。まず次の点。

7.同じく第2章の頁:76には、
 > ハーグ陸戦規則のどこにも、正規軍は四条件を遵守しなけれならないと書かれていない。
 
 と論じているが、これは頁:70で述べた以下の文言とは明らかに矛盾している

 > もちろん、正規軍の場合でもこの四条件の遵守が求められており、それに違反して行われる
 > 敵対行為は、国際法上の「戦時重罪」(戦争犯罪)を構成する。

 牽強付会の主張を展開した結果として、この様なダブルスタンダードに陥っているのであろう。

これには笑ってしまいました。前後の文脈がわからないと笑いのツボが分かりにくいのですが、吉田氏が東中野氏のダブスタを批判するために展開している議論の趣旨を理解できずに、吉田氏にダブスタとの非難を投げつけているわけです。まず「もちろん、正規軍の場合でもこの四条件の遵守が求められており」ということと「ハーグ陸戦規則のどこにも、正規軍は四条件を遵守しなけれならないと書かれていない」とは、文言としては何ら矛盾しないことは自明でしょう。ダブスタが存在するとすれば、「ハーグ陸戦規則のどこにも、正規軍は四条件を遵守しなけれならないと書かれていない、ゆえに正規軍はこの四条件の遵守する必要はない」と主張した場合のみです。しかし実際には吉田氏は「明文で規定されていなくても、正規軍はこの四条件の遵守する必要がある」と主張しているわけです。ではなぜ「ハーグ陸戦規則のどこにも、正規軍は四条件を遵守しなけれならないと書かれていない」と吉田氏は指摘しているのか? それは東中野氏が「便衣兵」の「処刑」を正当化するために、「明確に禁止されていない限り、それは合法であったことになる」と主張しているからです(『現代歴史学と・・・』では74ページに引用されている)。「明確に禁止されていない限り、それは合法であったことになる」ならば、東中野氏は「正規軍はこの四条件の遵守する必要はない」と主張しなければならないはずだ・・・という指摘なのです、これは。佐藤氏によれば「ネット上では、練達の否定論者たちの間には、『東中野教授の国際法解釈に疑問あり』とする声が多いのです」とのことですが([6])、まさにその東中野教授の国際法解釈の恣意性を批判した箇所で、佐藤氏は実につまらない難癖をつけていることになります。
あとは蛇足みたいなもんですが、次にハーグ陸戦規則の「交戦者資格」に関する佐藤氏の珍妙な英文解釈をとりあげてみましょう。コメント[9]から[11]にまたがる発言をまとめて引用します。

c.【 民兵義勇兵が交戦者資格を与えられる為の条件を示したものである。 】の解釈に
  ついては、大きな疑問がある。 この条項の原文は、以下の通りである。
   
   【 Article 1. The laws, rights, and duties of war apply not only to armies,
     but also to militia and volunteer corps fulfilling the following conditions: 】
 ここで、
   (イ)【fulfilling・・】以下の形容句は、【armies】をも修飾するものと解釈する事が
      妥当で、そうすると正規軍もこの交戦者資格を満たしている必要がある事になる。
      ド素人の私の英文解釈よりも、ご専門であられる渡部昇一教授から是非コメントを
      頂きたいものです。
      
   (ロ)以上の解釈もさる事ながら、implicitにこの四条件が正規軍の交戦者資格であると
      する解釈の方が自然かも知れません。

   (ハ)この原文が、以下の様に関係代名詞を用いる構文であったなら、
     【 Article 1. The laws, rights, and duties of war apply not only to armies,
       but also to militia and volunteer corps,that fulfill the following
       conditions: 】
      紛れのない解釈ができたのである。
      結局、表現上の冗長さを避けたり表現上の美しさに重きを置いたために、混乱を招
      いてしまったと考えています。
    
   (ニ)管見する限り、正規軍とはどういうものかと定義している条項は見当たらない。
      従って、正規軍に対する定義がないのであるから、前項(イ)に述べた形容手法で
      正規軍の交戦者資格を規定したという見方も成立する。

   (ホ)吉田教授も、【もちろん、正規軍の場合でもこの四条件の遵守が求められており】と
      叙述している訳で、この四条件が正規軍の交戦者資格であるかどうかは兎も角として
      『正規軍はこの四条件を守らなければならない』事には同意しているのである。
  
   (ヘ)仮にも、この四条件が正規軍の交戦者資格を規定するものでないとすれば、
      その中の条件(4)を正規軍が守る必要がない事ななる。 即ち、正規軍であれば、
      捕虜の虐待・虐殺など思いのままという事になってしまう。

「【fulfilling・・】以下の形容句は、【armies】をも修飾するものと解釈する事が妥当」ではありません。ほんと、渡部教授のコメントが欲しいところです(笑) しかし渡部教授のコメントを待つまでもなく、 " to A, B and C fulfilling..." ではなく "not only to A, but also B and C fulfilling..." となっている時に " fulfilling..." がAにもかかっていると読むのはまさに為にする英文解釈でしょう。しかしこの点をおいたとしても、佐藤氏の議論はグダグダなのです。「正規軍」であれば「四条件」を満たしていることは当然のこととして想定されているからわざわざ規定していないわけですが、仮に第1条の " fulfilling..." というフレーズが " armies" にもかかると読んだとしても、吉田氏の議論にとっては全く影響がないのです。佐藤氏が(ホ)で指摘する通り、「正規軍はこの四条件を守らなければならない」と主張する人間にとっては、 " fulfilling..." 以下が正規軍に必要な条件であったとしてもまったく困らないからです。したがって、否定派が「交戦者資格を持つのは正規軍だけだ」といった「交戦者資格」認識を持っているならともかく、「正規軍(四条件を守ることが要求される)」と「四条件を満たす民兵義勇兵」の双方が「交戦者資格」を持つと否定派が考えているのなら、「『交戦者資格』に関する認識が、吉田教授と否定派の間では異なっている」([14])などということはありません。
英文といえば、佐藤氏の投稿にはもうひとつ珍解釈があります。ハーグ陸戦規則23条についての部分です。

【 (c) To kill or wound an enemy who, having laid down his arms,
    or having no longer means of defence, has surrendered at discretion; 】

  1.この原文には、現在完了形が用いられている事に注意しなければならない。
    即ち、交戦の相手側の眼前で兵器を捨てた者が対象となる

  2.又は、戦闘中に兵器が破損した・弾薬が尽きた等の理由で自衛の手段が盡きた者
    が対象となる。 安全区に逃込む際に、兵器を遺棄した・兵器を隠匿した等の者
    は対象外である。
[17]

なぜ「現在完了形」だと「相手側の眼前で兵器を捨てた者」が対象になるというのか、さっぱりわからない。あ〜ひょっとして「たったいま、○○したばかり」の意味だと思い込んでるのかな? で、この部分は「便衣兵」とはなにかという問題に関連しているのですが、佐藤氏の「便衣兵」認識は次の通りです。

12.「便衣兵」についての記述:頁77
 > 従来から難民区内には本来の本来の意味での「便衣兵」は存在していなかったと主張して
 > きた。「便衣兵」とは、本来、民間人の平服を身につけて、武器を秘匿しながら攻撃を行う
 > 戦闘者のことを指す。ところが、難民区の中に逃げ込んでいたのは、軍服と武器を捨て、
 > 民間人の服を身につけた敗残兵だったからである。

 吉田教授は、「便衣兵」についてこの様に定義します。肯定派も全く同様の認識を持っている
 様です。 一方、否定派の認識は全く違っていて、『便衣兵の認定は外形基準による』という
 ものです。 武器の秘匿/攻撃の企図の有無に拘わらず、平服を身につけた正規軍兵士を指し
 ている様です。

 「便衣兵」かどうかは、「外形基準」で判断する或いはそれしかないというのが私の認識です。
 肯定派の方々は、「敗残兵」とか「便衣兵」とかに区別して取上げる事が多い様です。これは、
 『ハーグ陸戦協定』に定められた『交戦者資格』に対する認識の違いに起因するのでしょうか。

いやそんな「外形基準」を採用したら部隊の演芸大会で仮装した兵士はその瞬間交戦者資格を失ってしまうことになりますが、そんな馬鹿なことを主張するのでしょうか? 現に交戦していないものが「交戦者資格」を満たしている必要がある、というのでしょうか?


最後にティンパリーの『戦争とは何か』をめぐって再反論らしきものを試みておられるので、簡単に触れておきましょう。

 井上教授は、いろいろと反論を試みるのであるが、結局のところ次の様な材料しか提示できない。
 > つまり国際宣伝処が金を渡して本を書かせたのではなく、ティンパリーが『正義感に燃え』て
 > 編集した原稿を国際宣伝処は買い取ったのである。

 「 What War Means 」が出版されるまでの過程で、国際宣伝処の金が動いたという事実は
 否定できず、金の動いたタイミングの違いを指摘した所でどの程度の影響があるのであろうか。
 その他、ティンパリーの編集方針などを取上げて反証を試みているがイマイチ決定力に欠ける。
[19]

「国際宣伝処が金を払って書かせた」と、金が渡ったタイミングを問題にしているのは否定派の方なんですが? 他人の著作を翻訳して出版しようと思ったら金を払うのは当たり前なんで、「金を払って(あるいは払う約束をして)書かせた」のと「書いたあとで金を払って翻訳・出版した」のとでは大違いです。なお、北村稔氏は『「南京事件」の探求 その実像をもとめて』(文春新書)で次のように書いています。佐藤氏の感想を聞きたいところです。

当初、筆者は日中戦争中の英文資料には、国民党の戦時対外宣伝政策に由来する偏向が存在するはずだと考えた。しかし、ティンパリーのWHAT WAR MEANS、『英文中国年鑑』など代表的な国民党の戦時対外刊行物には、予想に反し事実のあからさまな脚色は見いだせなかった。残虐行為の暗示や個人的正義感に基づく非難は見られるが、概ねフェアーな記述であると考えてよいのではないか。少なくとも、一読して「嘘だろう」という感慨をいだかせる記述は存在しない。
(124-5頁)